今も述べましたが、要するにこの共産主義思想の問題というのは、多くの人々が貧富の差なく暮らすユートピア的な理想については、ある程度よしとするにしても、何しろ百年以上昔の資本主義の発達段階において、しかもマルクス個人の激しい思い込みに基づいて、その手段としての経済原理や社会闘争による共産主義社会の実現を説いていたようなところがあったので、はっきり言って、学問的、政治的、社会的な真理であったのか否か、というような観点から見ると、かなり間違ったところも多かったのではないか、というように思われます。
おそらく、マルクスが資本主義の問題を強く認識していた時代には、まだ資本主義は発達段階で、多くの労働者の人々の権利の保障が十分でなかったようなので、そうした意味では、当時のもっと賢明な人間性の高い人々は、人間の自由や人権をもっときっちりと重んじてゆけるような社会にするために、資本家の人々の経営の自由はある程度認めるにしても(社会全体の富を増やしてゆけるので・・・)、しかしながら、そこで働く労働者の人々の雇用や賃金や労働環境などについては、少しずつでも、もっときっちり保護できるような法律や社会制度に変えてゆくべきであるなどというように唱えることが多かったのではないか、と思われます。
ところが、そこをマルクスは、特に政治家や資本家の人々と深く交流したことも、調査したこともなかったにも関わらず、まるで根っからの人類の敵でもあるかのように、かなり一方的に厳しく決めつけ、多くの人々の反感や怒りを煽り、社会的な闘争を繰り広げようとしていったところがあったようなのです(ある意味で、現在のポピュリズム的な政治思想とも、多少似たようなところがあったのではないか、と思われます)。
Cecye(セスィエ)