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古代の日本とユダヤ人の関係について Part 3

 昨日の文章の補足です。

 

※大昔から日本列島には、中国大陸や朝鮮半島から、何度も何度も、たくさんの人々が移住してきているようなのですが、そうした経緯で、現在の福岡県の辺りに、当時の日本の玄関口に当たるような小さい集落が作られると、それが後の「倭国」(わこく)や「(奴国(なこく)」に発展していったようです。イメージ的には、後のアメリカ合衆国の草創期と少し似たような感じで、当時の中国大陸で、政治的に逃げ出さないといけなくなった人々や、圧政や凶作などで移住を余儀なくされた人々や、それから宗教的、政治的な自由を求めた人々などが、まだ誰も手をつけていないような未開拓な土地を求めて移住してくることが多かったようです。それで当時の九州の北部の辺りを入り口にして、九州の中央部や南側、さらには瀬戸内海から中国地方や四国や関西方面や、それから日本海側の地域を、少しずつ開拓しながら移住していったようです。

※古代の日本では、どちらかというと、現在の九州の辺りが、当時の「倭国(わこく)」の中心地になっていたようです。それというのは、当時の日本列島では、人も文明も、みんな大陸からやってくることが多かったので、現代人の感覚で言うと、当時の倭国は、中国大陸の半植民地、あるいは半衛星国のような形で、少しずつ国が成り立っていったようなのです(ですので当時の朝鮮半島の辺りも、ほぼ似たような感じの国の成り立ちになっていったようです)。その後、数百年も時代が過ぎて、倭国も、だんだん国力がついてくると、やがて半独立国のようになってゆくのですが、そうすると、その頃には、もうすでに現在の関西地方の辺りも十分に倭国の支配下に置いていたことと、それから当時の朝鮮半島や大陸からの軍事的な脅威が、かなり切実な問題となっていたようなので、その後、関西地方、つまり瀬戸内海の奥の大きな平野の中の、さらに奥地の天然の要害のような場所に、当時の都を移していったようです。

※あと、現在の九州の北部が倭国の中心であった時代には、これは時期にもよるのでしょうが、その時代の朝鮮半島全部、あるいは朝鮮半島の南半分ぐらいは、倭国の支配下に置かれていたようです。それから、もう少し時代をさかのぼると、逆に朝鮮半島に主だった拠点があった時代もあったようです。ただ当時の朝鮮半島も、倭国の政治状況と同じで、時期により幾つかの国に分かれて成り立っていたようです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2017年3月29日 9:03 PM, ユダヤ教 / 宇宙文明、古代文明 / 宗教、道徳 / 歴史 / 神道



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