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戦前戦中の「大日本帝国」と戦後の「日本国」の違いについて Part 11

 前に書いた文章の捕捉です(どちらかと言うと「戦前戦中の「大日本帝国」と戦後の「日本国」の違いについて Part 8」の部分に関連した内容です)。

 

※あと、20世紀の初め頃、アメリカの「排日移民法」(元々の法律名は「1924年移民法」、「ジョンソンーリード法」なので、かなり意図的な誤訳です)による日本人移民の排斥で、ものすごく日本の対米感情が悪化して、それが遠因で後の日米戦争の原因になったような説明をしていることがあるようです。

 ところが、これは現代の日本人だとよくわかると思うのですが、現代の日本でも、外国からの出稼ぎ労働者が無制限にそのまま国内に住み着くようになることは、国民の働き先を奪ったり、治安が悪化することを考慮して、かなり慎重に制限しているようなのですが、これとほぼ同じような理由で当時のアメリカでも低賃金の労働者が入国してくる際には、国内の経済(特に雇用、働く人が全然足りない場合には、たくさん移民があっても大丈夫なのですが、十分な働き先がなくなってきた場合には、あちこちで問題が起きてくるわけです)や、治安の問題や住民同士の対立の問題(実際に街が荒れたり、犯罪が増えるから困るわけです)などの状況をかなり慎重に考慮して、ある程度までは、たくさん移民を受け入れるけれども、ある程度まで来たら少し制限を加えて、何とかバランスを取ろうとするような政策を、日本からの移民だけでなく中国からの移民にも、またそれ以外の国々からの移民にも行っていたようなのです。

 ですから、こうした当時のアメリカ国内の移民問題をことさら大きく取り上げて、まるで「日本人だけを排斥しようとした」とか、「それで日本の対米感情が劇的に悪化した」というような物の見方をするのは、かなり間違っているのではないかと思われます。

 あと、当時のアメリカへの貧しい日本人の出稼ぎは、戦後の日本へのアジアの国々からの出稼ぎとほとんど同じように、そうした出稼ぎ労働者の国々の人々の感覚からすると、それなりにかなり過酷な労働は強いられるけれども、それと同時にかなりの大金を本国に持ち帰ることができるというような大金稼ぎの面と(実際、当時の国内の仕事の賃金と比べると、かなりの大金だったようです)、それから政治的には、貧しい国内から国外に職のない人々を次々と送り出すような人口減少政策の一貫であった面があるので、はっきり言うと当時の日本の場合、国内の非常に貧しい経済状態の方が問題だったのに、そこを無理やり、あたかも外国がすべて悪いかのように話の矛先を変えたというのが、実際の話の真相だったのではないかということです。

※ちなみに現代の日本では、緊急時の難民の受け入れに関しては、ある程度別の扱いになっているのでしょうが(あと現在は人口が減少しているので、将来の状況に関しても)、国内に貧しい国々からのたくさんの移民を受け入れるのではなく(特に戦後の日本は、基本的に人口過剰の社会になっていたので・・・)、そうした貧しい国々に積極的に投資や援助を行ったり、工場やお店を作って、そうした貧しい国々に住む人々を、できるだけ多く豊かにしてゆくような政策をとっているように思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2015年7月14日 9:03 PM, 政治 / 歴史 / 社会、文化 / 経済



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