Light Symbol

「ワンネス主義」は、確かにある種の悟りや理想を表す尊い概念ではあるが、現実には、あまり良い結果をもたらさないことの方が遥かに多い Part 4

2、「人類は、一つ」、「一つの世界の実現」、などというような「ワンネス思想」のようなものを、多くの人々が、あまり強く信じすぎるような事態になると、いつの間にか、とんでもない独裁者のような人物に国家や組織が乗っ取られてしまうことがあるので、注意が必要である

 第二には、これも世間では、あまり指摘されない内容になるのですが、人類の歴史を見る限り、ワンネス思想みたいなことを、多くの人々が、あまり強く信じすぎると、結果として、いつの間にか、とんでもない独裁者みたいな指導者が、そうした国家や組織の中で、ものすごい権力を濫用するような事態になりがちであった、ということです。

 

①ひとたび理想主義が行き過ぎると、とんでもない現実無視の過激行動に走ることがあるので、高い理想を掲げる理想主義者であればあるほど、そうした理想のもたらす現実の結果や実態に目を凝らさなくてはならない

 これは、例をあげると、本当にきりがないのですが、例えば、一昔前だと、「一人の天子のような人物の下に世界を統一すべきだ」、とか、「最も優れた民族が、すべての世界を支配することによって、完全なる理想世界を実現すべきだ」、などというような、いっけん、それらしい崇高な理想やスローガンのようなものが、たくさんの宗教や国家の中で大手を振って、かなり幅を利(き)かせていたことがあったのですが、そうすると、なぜかそれまでは、「自分も他の人々も自由に生きられる社会が、一番良いのではないか」、とか、「自分の国と隣の国は、全然、別の国なのではないか」、と思っていた大勢の人々が、突然打って変わって、「この理想の下に自分の国と隣の国を完全に統一するべきだ」、とか、「そのためには、軍事力の行使は当然だし、少々の犠牲者が出ても、全然、構わないのではないか」、というような考え方をわりと簡単にできるように変わってしまう、などというように、こうした理想やスローガンの効果には、実際、かなり恐ろしいところがある、ということなのです。

 つまり、人類の歴史を見てみると、驚くべきことに高い理想を掲げた理想主義者であればあるほど、どこかの段階から過激主義に転じて、「多少の犠牲者が出ても致し方ない」、とか、「少々のテロや犯罪は、崇高な理想の下に正当化される」、などというように、だんだん行動が過激化してゆき、いつの間にか、後から考えてみると、人類的な罪や歴史の汚点としか全く言いようのないような大量虐殺や文明や文化の破壊のようなことを、わりと平気でやってのけてしまうようなところがあるのですが、それもこれも元をたどると、何のことはない、先ほど述べたような、「すべては一つである」、とか、「尊い理想のために」、などというような一種の現実離れした理想主義に酔ってしまった結果のようなところがある、ということなのです。

 つまり、ここで言えるのは、「すべては一つである」、というような一種の理想主義のような内容に関しては、確かに、それは真理の一面として、認めてもよいのだけれど、だけど、それは、やっぱり真理の一面に過ぎないようなところがあるのであって、その反面には、「どう考えてみても現実には、すべては一つじゃないし、みんなバラバラなのだが、みんな、それを良いとも思っている」、とか、「いくら理想が尊くても、ひとたび戦争やテロにでもなれば、現実には、ピストルの弾が飛び交ったり、爆弾が、次から次へと爆発するだけなので、それは、単なる殺人や暴行と全く違いがない」、などというように、そうした理想主義を掲げる時には、そうした理想主義に酔うのと同じくらい、現実の世界の実際の様子というものに目を凝らさなくてはいけないようなところがある、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年10月6日 9:12 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 宇宙文明、古代文明 / 宗教、道徳 / 政治 / 社会、文化



«

»

おすすめ記事

過去の記事