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学習目標の達成が目的なら、通信簿なんて全くいらない

 今回も前回に引き続き、教育の話になります。

 

②学習目標の達成が目的なら、教師が子供に対して一方的に評価をつけるような通信簿は全く必要ない

 第二には、現在のように子供が、自分の意思で直接選んだわけでもないような教師が、一方的に子供を評価するような評価制度は完全に廃止すべきであるということです。

 それというのは、これはよくよく冷静になって考え直してみれば、誰でも分かるような内容なのではないかと私は思うのですが、そもそもそんなにその教科の修得が、人間として絶対に必要であるというなら、車の免許の取得と同じようにその科目における最低修得ラインを明確に定めて、その科目の大体70%以上の理解や記憶や実技ができたら、もうそれでOK、という具合にその子供の興味や努力に応じて、どんどん好きな教科を好きなだけやれるようなシステムにすればよいということなのです。

 ところが、現在の学校のシステムだと、はっきり言って、そうした最低修得ラインというような基準から見ると、9割できる子も3割しかできない子も誰でも彼でもすべて一緒くたに混ぜ合わせて、「とにかく学年が進んだので学びが進んだはずだ」などというような完全に現実無視の空理空論を本当に地で行くような馬鹿な運営をやり続けているから、分かる子も分からない子も退屈して学校が荒れたり、あるいは、そうした無駄を補うために学校以外に塾や予備校に親が大金を使わなくてはならなくなるような状況になるのではないか、と私は素朴に感じております。

 それゆえ私は、学校のすべての教科についての最低修得ラインを明確にして、子供がその最低修得ラインができたら、たとえ半分の授業時間でもOKだけれど、もしその子供がその最低習得ラインを習得できていないなら、そこでいちいち教師の評価なんていらないから、単純にその時点では、まだその項目にはパスの印はつけずにちょっとだけ保留にして、後はその子供がパスできるように親も教師も一緒に親身になって相談に乗ったり、個人指導したりしながら面倒見てあげるというような一種の共同責任のシステムにした方がずっとよいのではないか、というように考えております。

 これが現在のシステムだと成績が悪いのは、あたかもすべてその子の責任であるかのような、言ってみれば、完全に子供の側に一方的に不利な形の評価制度になっているから(弁護士のいない裁判と理屈的には、ほとんど同じです)、子供はだんだん教師のことも親のことも、それからそうした制度を自分達に無理やり押し付けている社会のことも信用しなくなってゆき、そのうち一人の殻に閉じこもるようになったり、反社会的な過激な意見や活動に興味を持つようになったり、また場合によっては、ひどい劣等感や挫折感に打ちひしがれて非常にネガティブな精神状態のまま、その後の長い人生を歩まなくてはならなくなってゆくようなことすらあるので、それゆえ私は、現在の学校のシステムのように教師が子供に対して一方的に評価を与えるようなシステムというのは非常に問題があるのではないか、というように考えています。

 ですから、もし現在のような評価制度を続けるなら、教師から子供への一方的な評価にならないように、少なくともそうした評価には子供や親も一緒に参加させて、子供も親も教師もみんなで納得できるような評価にするか、もしくは子供も教師に対して通信簿をつけて自由に評価してよいとか、そうした教師への評価が教師の地位や給与に直接何らかの形で反映されるようにする(塾も予備校も私立学校も普通、みんなそうですから・・・)というようなシステムにしておかないと、人間平等の精神をうたった民主主義国の教育制度としては、誠に不完全というか、人間差別的な学校制度であるとしか全く言いようがないということなのです。

 

 続く・・・

 

 追伸

 これは、実際にイメージしてくださるとよく分かるのではないかと思うのですが、もしこれまでの自分の生い立ちの中で、何のテストも通信簿もない自分の人生であったとしたら、それだけで、はっきり言って、かなり気が楽になると思いませんか。

 このテストや通信簿の成績っていうのは、本当にかなり後々の人生までその人の人生を精神的というか、霊的に縛ってくるものなので、私はもし現在のように全国民が学校に行かなくてはならないような社会システムにしておくなら、年に数回の大テストなんて即刻止めて、一つの科目を数十から数百ぐらいの小さなテストに振り分けて、一人一人の生徒が自分のペースで何度受けてもよいから、全員7割ぐらいの合格ラインをパスすれば、それでその科目の修得はOKという具合に、もう少し気軽に簡単にそれぞれの科目の修得ができるようにすれば、それで十分なのではないかというように考えています。

 あと現在は、前にも述べたように超分かりやすい一流講師の講義のビデオやテキストもあれば、ゲームのような楽しい教材もたくさんあるので、教師は生徒の成績なんてつける暇があったら、一人一人の生徒が最低修得ラインにみんな、ちゃんと行けるように細かく学習の相談に乗ったり、個別指導をしてくれれば、その方が子供も親もずっと楽になるのではないかと私は考えています。

 

Cecye(セスィエ)

2010年10月14日 9:26 PM, おすすめ記事 / 教育



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