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知ることと人間性の関係について Part 52

 ところが人間というのは、不思議なもので、結局、どんな時代のどんな国や地域の人間であっても、先ほど述べたように非常に優れた人間や、神仏のような存在達の指導には、素直に従ってゆこうとするようなところがあるし、また何らかの権威による格式や、きっちりと証明された証拠は信じざるを得ないようなところがあるし、それから常にそうした知恵の恩恵によって、できるだけ苦しみは少なく、また喜びは大きく生活しようとしているものなので、それゆえ、たいてい、そうしたそれぞれの時代や国や地域において、権威があり、また大切にされているような「知恵」に対する畏敬の念や信頼感というのは、非常に高いものになってゆくものなのです。

 しかし数十年、数百年、数千年というような非常に長い人類の歴史のスパンで見れば、時代と共に過去の権威や常識が大きく崩れて、全く新しい権威や常識に入れ替わっていってしまうこともあれば、また、今日の世界においても、ある国や地域の権威や常識が、世界的なスパンでは、全く奇異な目で見られているようなこともあるし、さらには、それぞれの人間の人生においても、その人が過去信じて、受け入れてきた知識や技術や考え方などが、時代の変化や、その人自身の様々な探究や経験の結果、全く違ったものに変わっていってしまうようなことも、実際、よくあるような話であったりするわけです。

 それゆえ、こうした観点から見ると、現在の世界の知恵についても、多くの人々の感覚としては、「これは絶対に素晴らしい」とか、「これは絶対に間違っていないし、絶対に正しいはずだ」とか、「実際、今日もこの考え方ややり方でうまくいった」などというように、ほぼ当たり前の常識のような感覚で考えてゆきやすいようなところがあるのですが、ただ、そのようにして現在、多くの人々が、ほぼ当たり前の常識のような感覚で受け入れている「知恵」の内容というのは、そうしたもっと長い人類の歴史のスパンや、もっと広い世界のスパンでは、いつの間にか大きく覆され、変わっていってしまうこともある、ということはある程度知っておいてよい、もう一つ別の知恵の側面のようなところもあるのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2020年12月14日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 科学、テクノロジー



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