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古代の日本とユダヤ人の関係について Part 1

 今回から、古代の日本や世界の状況について、少しだけ述べてみたいと思います。

※本当はもっと長い文章の一部なのですが、発表しやすいものから順に、少しずつ載せてゆきたいと思います。

 

古代の日本には、ユダヤ教的な一神教の時代があり、それが後の日本の王家のルーツになっていった

 これは古代の日本の歴史について研究している一部の人々が、非常に熱心に主張しているような話とも、かなり一致しているような内容になるのですが、現代の日本人の宗教観とはかなり違って、古代の日本では、現代日本人から見ると、ほぼ一神教なのではないか、と思われるような、かなり外国色の強い宗教が信仰されていた時代があったようです。

 それでは、その古代の日本で信仰されていた一神教というのは、いったいどのような宗教だったのかというと、現代の世界では、一般に「ユダヤ教」と認識されているような、この宇宙の絶対神、あるいは唯一神を信仰していて、それから、わりときっちりした戒律を守るようなタイプの宗教を信仰していたようなのです。

 そうすると、その古代の日本人とは、いったいどんな民族だったのかということが、すぐに気になると思うのですが、実は今日の白人系のユダヤ人と違って、古代のユダヤ人は、どちらかと言うと、アジア系の民族だったので、古代のいろいろな歴史の経緯で、そうしたユダヤ人の一部は遊牧民族化して、当時のアジアの各地にかなり大きく勢力を広げていったようなのです。

※ただし、古代の日本にユダヤ人の一派がやってくる前から、いろいろな経緯で、現在の日本列島には、様々な人々がいたようです。

※古代イスラエルでは、紀元前千年頃、有名なダビデ王やソロモン王の下で繁栄した後、やがて北のイスラエル王国と、南のユダ王国に分裂しました。さらにその後、紀元前8世紀頃、アッシリアによって、北イスラエル王国は滅ぼされるのですが、この頃に離散したユダヤ人が、後に「失われた十支族」と呼ばれているようです。

※南のユダ王国は、その後もしばらく存続して、やがて、その後のユダヤ人のルーツになってゆくのですが、そうした経緯で、現在伝わっているユダヤ教と、そうした「失われた十支族」系のユダヤ教では、同じユダヤ教でも教えの内容には、かなり違いがあったようです。それというのは、その後のユダ王国では、有名なバビロンの捕囚(新バビロニアとの戦争に負けて、ユダ王国の多くのユダヤ人がバビロニア地方に強制移住させられた)が行われたり、ローマ帝国を初めとするような様々な大国の支配下に置かれたり、キリスト教の迫害に関わったり、とても悲劇的な形で国を失って、民族的な離散を体験することになっていったからです。その結果、ユダ王国系のユダヤ教では、現在のユダヤ教を特徴づけることになるような、神による天地創造の話がつけ加えられたり(バビロン捕囚の時代に、バビロニアの宗教の影響で付け加えられたようです)、宗教的なエリートを中心とする、かなりきっちりとしたユダヤ教的な組織体制や、律法を重んじる宗教スタイルが、かなりきっちりと作られていったようです。ところが、先に滅びてしまった北のイスラエル王国系のユダヤ教では、そうした民族的な体験はあまりなかったので、現在、多くの人々に知られているようなユダヤ教的な要素は、それほど強くなかったようなのです(単純に言って、非常に霊的で、法治主義的なのですが、古代世界の他の民族と一緒で、それほど特殊な悲劇的な要素はあまりなくて、宗教的には、極めて真面目なのですが、もっと素朴であっけらかんとしていた感じがします)。

※現在のように白人系のユダヤ人が多くなったのは、「ハザール王国」(7世紀から10世紀にかけてカスピ海沿岸からコーカサス、黒海沿岸で栄えていた遊牧民族の国家)で、9世紀頃、白人系の人々がかなりたくさんユダヤ教に改宗した後なので、それ以前は、どちらかというと、アジアやアフリカ系の混血のような人種の人々が、ユダヤ人と呼ばれていたようです。

 

 続く・・・

 

 追伸

 最近、古代の歴史について調べているのですが、特に千年以上昔の歴史については、現在、日本人が知っているような歴史の話とは、かなり違っているようです。私の場合、主に霊的に調べるのですが、かなり熱心に読まれている方もいるようなので、一応、現在残っている歴史の資料も、ある程度は確認するようにしています。

 ただ、特に古代の辺りの時代は、霊的にかなり強く封印されてしまっているようなところがあるので、かなり霊的に優秀な人でも、よく調べてみないと、本当はいったい何が正しかったのか、よくわからなくなってしまうところがあるようです(昔のことだと、頭がボケっとしてわからない感じになることが多いと思いませんか)。

 学者や歴史に興味のある人だけでなく、霊的な能力のある人や、あるいは、そうした大昔の魂の記憶が多少残っているような人が、あちこちで、いろいろな違った意見を言うような状況になることも多いのですが、そうすると、普通の人は、かえって何が正しくて、何が間違っているのか、なんだかよくわからなくなってくることも多いようです(少し前の時代のように国に勝手に決めつけられるよりは、ずっといいのですが・・・)

 私自身も、自分自身が、霊的にかなり強く封印されてしまっていることに関しては、いろいろと霊的な妨害を受けるので、なかなか、すぐに簡単には思い出せなくなってしまうことがあるのですが、それで、こうした文章を載せる前に2月の末ぐらいから、霊的には、ちょっと大変な状況になることが多かったです。

 霊的な封印が解けると、一時的にわっと波動が荒れてしまうことも多いのですが、その後、うまく浄化できた場合には、多くの人々の間で、そうした霊的な封印が解けた内容に関しては、わりと自然な感じで落ち着いて考えられるようになることが多いようです。

 ですから、おそらく、もうしばらく経った頃には、少なくとも日本の古代の歴史に関しては、これは内容にもよるのですが、多くの人々の間で「これは昔から少し変だと思っていたけど、本当はこんな話だったんだね」とか、「ああ、これは本当はこういうことだったんだ」などというような感じで、わりと冷静な感じで歴史の感覚が正常化してゆくのではないか、と思われます。

 

Cecye(セスィエ)

2017年3月27日 9:03 PM, おすすめ記事 / ユダヤ教 / 宇宙文明、古代文明 / 宗教、道徳 / 神道



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