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人間が、「わかる」ことと「わからない」ことの知的な境界について Part 4

人間は「わかる」ことで、より深い共感やシンパシーを感じるようになるものだが、それは同時に、より「わからない」ことが増えてゆくことにもつながってゆくものである

 これは少し変わった話になってくるのですが、多くの人々が、「わかる」という感覚を感じている場合には、たいてい、これは表面意識としては、あまりはっきりと認識していないケースが多いのですが、そうしたその人が「わかる」と思っている物事に対して、常に何となく気になったり、精神的に惹かれてしまったり、また、常に何となくそうした物事に対して、共感やシンパシーを感じるようになることが非常に多いということです。

 つまり、多くの人々が関心を持ったり、関わりを持ちたいと考えていることの多くは、そうした物事について、何らかの形で、ある程度知っているとか、あるいは、その人自身として、あまり他人事ではないように感じていることが多いということなのですが、そうすると、ここで多くの人々の間には、少し変わった精神的、物質的な変化が、ほぼずっと起き続けている可能性があることになります。

 それは、いったい何なのかというと、実は、そうした形で多くの人々が、様々な物事について、わかるようになってゆくということは、その後、ほぼ必然的に、次のような二つの変化が起きてくる可能性があるのです。

 まず一つめは、これは、生まれ持ってある人間の性質であるとしか全く言いようがないのですが、人間という生き物は、そうした形で何らかの物事について、わかるようになると、その後、ほぼ確実に「それを何らかの形で、自分に役立つようにできないか」とか、「それを何らかの形で、多くの人々や自然界の役に立つようにできないのか」ということを考えるのみならず、その後、実際にそうしたことができるようになった場合には、やはり、ほぼ確実にそうした形で、それぞれの個人の役に立てたり、多くの人々や自然の役に立たせるような形で、少しでも利用しようとしてゆくことが多いということです。

 二つめは、これもある意味で当然のことになるのですが、そうした形で人間が関わるほぼすべての物事というのは、そうした物事に関わる人間が増えれば増えるほど、またその時間が経てば経つほど、そうした物事に関する知識や技術や経験や情報のようなものが、どんどん増えてゆくことが多いということです。

 そうすると、ここでとても不思議なことが起きるのですが、逆に言うと、そうした物事について、あまりよく知らない人間にとっては、その人が「知らない」、「わからない」知識や技術や経験や情報が、どんどん増えてゆくにもなってゆくので、つまり、逆に多くの人々が、「知らない」、「わからない」ことが増えてゆくことにもつながってゆくような、少し不思議な知的矛盾のようなものが広がってゆくようなところもあるということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2016年12月5日 9:03 PM, 知恵、正しさ



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