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人間の知的な成長のプロセスと、より良いコミュニケーションのあり方について Part 18

⑩言葉によるコミュニケーションでは、時々、実際の事実ではない、また本当の気持ちではない、嘘や間違いや飾りが入り混ざることがあるので、注意が必要である

 十っこめは、これは世間では、時々、大きな問題になっているような話になるのですが、実は、言葉によるコミュニケーションには、かなり根本的な問題があって、それというのは、こうした言葉によるコミュニケーションには、どうしても、本当の事実とは違う、また本当の気持ちでもない嘘や間違いや飾りが混ざってしまうようなことがあるということです。

 実際、これまでの人類の歴史や、多くの人々の体験を振り返ってみれば、ほぼ明らかにわかるように、大勢の人々の中には全く事実とは違った、ほぼ真っ赤な嘘と言ってもいいような内容を、さも本当の真実であるかのように熱心に吹聴することがあったり、また本人としては、絶対に正しいことであると深く思い込んでいたにも関わらず、後で、実際には間違った情報であることが判明するようなことがあったり、さらには、本当に思っていることとは全然違うことを、さもその人が本心から思っているかのように、美しい虚飾に満ちた言葉や文字で表現するようなことも、かなり数多く行われてきたということなのです。

 また今日、多くの人々が楽しんでいるテレビや映画や小説や漫画やアニメのようなエンターテインメントの内容にしても、そうしたものに接している際には、多くの人々は、まるで本当に目の前で、そうした出来事が起きているかのように感じていることも多いのですが、ところが、実際には、何らかのアイデアの元のような話はあったとしても、たいていは、非常に才能豊かな作家の人々が考えた想像上の作品であることが多いわけです(そうした場合には、たいてい、「フィクション」と書かれていますが・・・)。

 さらに、こうしたことは、昔の古い歴史に関しても同じようなことが言えるのですが、例えば、現在多くの人々が知っている「歴史」も、大昔の歴史の断片の資料を集めて(実際には、ほとんど資料が残っていないことも多いです)、一部の学者や専門家のような人々が、「ああではないか」、「こうではないか」などと、かなり一生懸命、推測しながら考えた、言ってみれば、推測の集大成に過ぎないようなところがあるので、実際には、しばらく時代が経つうちに、だんだん本当の事実がわかって、多くの人々の考え方がすっかり変わってしまうようなことも、私達の歴史では、よく起きた出来事であったのです。

 ですから、こうした言葉や文字によるコミュニケーションには、時々嘘や間違いや飾りが入り混ざることは、よくあることであるということをしっかり理解して、できれば、単なる言葉や文字を追いかけるのではなく、実際の本当の事実は、どうであったのか、ということをしっかり確認することや、それから相手が生の人間である場合には、実際に身近に接した際には、いったいどのような人となりなのか、ということをしっかり知るような努力が、とても大切なのではないか、と思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2016年7月25日 9:03 PM, 歴史 / 知恵、正しさ / 社会、文化



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