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人間の知的な成長のプロセスと、より良いコミュニケーションのあり方について Part 9

 再び、この前の「人間の知的な成長のプロセスと、より良いコミュニケーションのあり方について」の話の続きになります。

 

⑥時々、人間社会では、かなり個人的な特殊な事情や感性や感情的な問題で、物事や言葉の捉え方に非常に大きな問題が生じることもある

 六つめは、これは少し変わった話になるのですが、現在の人間社会の状況を見ていると、どう考えてみても、この世的な理屈や損得の観点では全く理解できないような、かなり不思議な人間関係の問題が生じることがあるのですが、それが、いわゆる、それぞれの個人の特殊な事情や、それから感性や感情に関わるような物事や言葉の理解のギャップの問題になります。

 それは、いったいどのようなものなのかというと、例えば、どう考えてみても理性的、損得的には、Aの見方が絶対正しいにも関わらず、世の中には、なぜかかなり偏屈な感じで、「いや、私はAは嫌いだから、絶対Bがいい」とか、「Aが得なのはよくわかったけど、何となく気が乗らないからCにする」とか、「みんながAと言うなら、自分はDにしたい」などというように、この世的な損得や理屈とは全く違った感じで、様々な物事や言葉に対して、かなり変わった物の見方をしてくるような人が、時々いるということなのです。

 つまり世の中には、一見、どう考えてみても100人が100人、みんなが正しく良いものだと言いそうなところを、なぜか、この世的には全くよくわからない不思議な理由でもって、「いや、それは違う」とか、「別の方法がいい」とか、「そんな言葉の使い方は嫌だ」とか、「もっと別の言葉で言いたい」などと言い出すような人々がいるものなので、そうした少し変わった人々に当たった際には、そうしたそれぞれの人の個人的な事情や、それぞれの人独自の感性や感情はできるだけ尊重すると同時に、それ以外の普通の大多数の人々の立場や利益も十分に尊重してゆくような人間的な配慮が、とても重要になってくるのではないか、と思われます。

※おそらく、現在、アセンションの過程で、少し前の時代によく見られたような少し毒々しい感じのファッションや物の見方や性格のようなものは、一時的には、多少大きく問題になることはあっても、長期的には、だんだん昔ほど大きな騒ぎになったり、多くの人々が不快感を持つような状況というのは減ってゆくような流れになってゆくのではないか、と思われます。

 

 続く・・・

 

 追伸

 明日はお休みになります。

 

Cecye(セスィエ)

2016年7月8日 9:03 PM, 知恵、正しさ / 社会、文化



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