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人間の知性の働きについて Part 4

 それから七つめは、こうした形である程度、考えをまとめるような形で、その時々の自分として、できるだけ正しいと思われる結論を選び出してゆくような知性の働きがあります。

 例えば、できるだけ冷静に頭を使って(つまり感情や本能に流されるのではなく)、その時点で最善と思われる決断をしてゆくとか、二つ以上のものを比べて、どちらが、より良い正しいものなのか判断してみるとか、その人独自の倫理観や価値観などに照らして、できるだけ最善の生き方を目指してゆくようなことがあげられるのですが、普段、私達は、こうした知性の働きのことを、何らかのことを「決める(決断する)」とか、「判断する」とか、「選ぶ(選択する)」とか、「意思を持つ」とか、「生き方をする」などというように表現しているのではないかと思われます。

 ですから、こうした形の知性の働きを、普段、私達は「決める」とか、「判断する」とか、「選ぶ」とか、「意思を持つ」というように表現しているということです。

 八つめは、今度は、少し違った知性の働きになってくるのですが、そうした形で様々な物事について、ある程度よく知るようになっていたとしても、その時の自分自身の知識や体験としては、まだあまりよく知らないようなことであるにも関わらず、要するにパッと何か閃くような形で、「あ、こうすればいいんだ」とか、「こうやったら、うまく行くんじゃないかな」とか、「よくわからないけれど、多分、こうやれば、うまく行くはずだ」とか、「きっと、こうやると、とてもきれいになる」などというように、その時々の状況に応じて、パッと閃くような形で、何か新しいアイデアや解決策を次々と思いつくような知性の働きがあると思うのですが、こうした人間の知性の働きを、普段、私達は「良いことを閃いた」とか、「新しいことを思いついた」とか、「インスピレーションを得た」とか、「ピンときた」などと表現しているのではないかと思われます。

 ですから、こうした感じで、元々知っている様々な物事の要素を、パッと組み合わせるような形で何か新しいことを考え出したり、あるいは、そうした元々の知識や経験も、ほとんどないような状況であるにも関わらず、パッと何か新しいことを閃くようなことを、普段の私達の生活では、「閃く」とか、「新しいことを思いつく」とか、「インスピレーションを得る」とか、「ピンとくる」というような表現をしているのではないか、ということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2016年6月6日 9:01 PM, 知恵、正しさ



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