Light Symbol

霊と肉体の意識活動について Part 56

 それゆえ、そうした形で地上の世界においても、また霊界や異次元世界においても、本当にいるのか、いないのか、なかなかはっきりと明確に判断できないような存在について、いったいどの範囲まで生命、あるいは、そうした生命エネルギーの塊である魂のような存在として扱い、また、いったいどの範囲から生命、あるいは、そうした魂のような存在として扱わないことにすればよいのかというと、それが先ほど述べたような内容、つまり自分の意識をある程度、精妙に保った上で、自分が見たり、聞いたり、触ったりしているような存在に対して自分の意識を向けた際に、そうした存在が、本当に何らかのことを感じたり、考えたりしているか否か、ということであるのです。

 つまり、そうした存在が、まるで人間や生き物のように本当に生きているかのように見えたり、また実際に話したり、動いたりしているように見えたとしても、そうした存在に自分の意識を向けた際に、そうした存在が本当に楽しいとか、気持ちよいとか、痛いとか、つまらないなどと何らかのことを霊的なレベル、あるいは意識レベルで感じたり、考えたりしているのであれば、それは実際の生命存在、あるいは意識存在がそこにいると判断してよいが(つまり、ただの物理的な映像や音声や動作ではなく)、そうではなく霊的なレベル、あるいは意識レベルでは、全く何も感じていない、考えていない場合には、それは、たとえ本物の人間や生き物そっくりの存在のように見えたり、あるいは、本物の人間や生き物そっくりに話したり、動いたりしているように見えたとしても、それは単なる蜃気楼のような自然現象や幻覚や幻聴のような異常な精神作用か、あるいは、本物そっくりの人形やロボットのような存在か、もしくは、かなりリアルな映像や音声を伴う仮想現実なのであって、本当の生命や意識存在ではないというように判断してよいのではないか、ということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2016年2月17日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 自然、生命



«

»

おすすめ記事

過去の記事