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昔の大日本帝国憲法の問題点について Part 8

 それから三つめは、これはさらにややこしい問題になるのですが、この大日本帝国の問題は、その時々の天皇にあまりにも大きな権威をもたせてしまっているために前近代的な国家がよく陥るような大問題、つまり何か政治上の問題を誰かが指摘しようとすると、それが一々偉い王様の権威に関わるためにすべて握りつぶされてしまうとか、誰かがそうした国の大改革のようなことをやろうとしても、すぐに旧勢力の人々が王様の権威に取り入って、逆に大弾圧のようなことを始めてしまうなどというような前近代的な国家がよく陥るような国家の低迷が、わりと簡単に起きやすいようなところがあったのです。

 つまり誰かが、「この国のここが問題なので、至急改善するべきだ」と言ったとしても、それが即天皇や憲法の問題になってしまうためにそうした問題が全く改善できないような政治状況に陥ってしまうとか、「この大変な問題を解決するためには、こういう制度改革が必要だ」とか、「こういう問題を今すぐ何とかしてほしい」というような要望が国の内外のあちこちから持ち上がってきたとしても、それを言うと、すぐに「それは神聖な天皇陛下の威信に関わることだ」とか、「それは天皇陛下が治めている国に楯突く行為だ」などと全く別の次元の話にすり替えられて、全く誰も何も手を付けられないような状況に陥ったり、また場合によっては、まるで国家転覆を企むテロリストや凶悪犯罪者のような汚名を着せられて、とんでもない大弾圧を受けたり、重罪に課されてしまうような状況になりがちだったということなのです。

 それから四つめは、これは最も問題になるのですが、要するに大日本帝国憲法のような国の中での憲法の位置づけを作ってしまうと、「憲法の中でほんの少しだけ変更したい」というような憲法修正の必要性が生じても、そうした憲法修正の話題になるたびに、まるで「憲法すべての条文を大変更して廃止するのか」とか、「国家の存続のあり方(昔は「国体」と呼んでいましたが・・・)をすべて大変更して、革命でもやる気なのか」などというような雰囲気になりがちだったようなので、その後の歴史の流れを見ると、どこの誰が憲法の修正や国家制度の改革のようなことをしようとしても全くできずに(当時日本中で最も神聖視されていた、当の天皇自身が言い出せば全く別の話になるのですが・・・)、結局、とんでもない大戦争をやって、国民も国家もぼろぼろになった段階で、他の国々の人々がかなり強制的な手段で憲法の改正をやることで、初めてそれが実現できた、というような歴史の流れになってしまったようなところがあるのです。

 つまり大日本帝国憲法の場合、本当は、そもそもそんなに大した出来の憲法でもないのに、憲法の中のほんの少しの修正すらかなり難しいというよりも、ほぼ不可能な政治状況に置かれていたことが、後世の人々の目から見ると、かなり大問題だったのではないかということなのです。

※どちらかと言うと前回の話に関係あるのですが、現代日本人によくわかりづらいものに大日本帝国時代の「勅令(ちょくれい)」というものがあるのですが(他に天皇の許可を表す「勅許(ちょっきょ)」や天皇の言葉を表す「勅語(ちょくご)」という言葉があります)、現代の日本の制度とはかなり違い大日本帝国時代には、その時々の天皇が軍事的な命令(軍令)も含めて、法的な効力のある命令をいくらでも出すことができました。実際にはその時々の首相や大臣や軍人や役人などの命令に近かったのかもしれませんが、その時々の天皇名義の命令となるので、事前に必ずその時々の天皇に話を通して、よくよく相談、確認した後にそうした勅令を発していたものと思われます。調べてみると結構膨大な量になるので、戦後のイメージと違って大日本帝国の時代には、その時々の天皇を中心に政治が動いていたことがよくわかります(つまり大日本帝国時代は、現在の日本と違って、立法権と行政権が完全に癒着していました)。戦後の日本国憲法下の日本では、こうした勅令は廃止されて、国民の代表である内閣の首相や大臣が憲法や法律の範囲内で、こうした国の命令(政令)を発することができるような方式に改められています。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2015年9月15日 9:05 PM, 政治 / 歴史



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