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光について Part 18

11、光と闇に象徴される善悪の対立関係について

 昔から宗教や霊的な思想では、光と闇に象徴されるような「善」と「悪」の対立や闘争が問題になることが、とても多かったので、今回から、そうした光と闇に象徴されるような善悪の対立関係について、述べてみたいと思います。

 

①近現代になると、昔のような単純至極な光と闇の対立の構図から多くの人々が、より豊かで幸せな生き方ができるような幸福主義的な価値観にだんだん変化していった

 まず一つめは、これは私の文章では、何度も触れてきているような内容になるのですが、現在、地球全体の次元上昇がどんどん進んでゆくにつれて、昔からの宗教や霊的思想でよく見られた「光」と「闇」に象徴されるような、常に善と悪が、お互いに対立して戦い合い、競い合うような関係というのはだんだん減ってゆき、それに代わって、いかにして、一人でも多くの人々や生き物達が、より豊かで幸福な人生を生きてゆくようにできるか、というような、言ってみれば、幸福主義的な価値観からの再統合が進んでゆくようになるのではないか、ということです。

 詳しくは、別のページに書かれているので、ここでは割愛したいと思うのですが、大まかに言うと例えば、電気や石油やガスのない昔の時代であれば、夜や冬はとても寒くて、大変だったかもしれないけれども、現在のように科学技術の発達した時代になると、電気や石油やガスさえあれば、夜でも一晩中、明るく過ごせるし、夏でも冬でも一年中、快適に心地よく過ごすことができるとか、一昔前の時代のように身分の差が厳しく、学問や職業選択の自由のない、虐げられた貧しい人々が多い時代であれば、わずかな食べ物を盗んだだけで厳しい刑罰を課すような、かなり厳しい戒律や法律で多くの人々を縛り付けなくてはならなかったかもしれないけれども、現在の先進国のように多くの人々が、非常に豊かな自由で平等な生活を送っている場合には、そもそも犯罪を犯す人々自体が激減してしまうので、多くの人々が、自然のうちにある程度、道徳的な生活を送るようになってゆくとか、一昔前の時代のように、どの宗教や宗派も、「自分の宗教や宗派だけが、宇宙で唯一の正しい宗教で、それ以外の宗教や宗派は、みんな偽物でデタラメな悪魔の教えなのだ」というような価値観ではなく、現代の先進国のように、それぞれの宗教や宗派が、「自分の宗教や宗派の正しさと同じように、よほどのめちゃくちゃな主張を掲げたり、犯罪行為でもしない限りは、他の宗教や宗派の正しさや主張も、お互いに冷静に認め合うようにしてゆこう」というような立場を持つようにしていれば、そもそも宗教ごとに「どの宗教が善で、どの宗教が悪なのだ」というような対立をしなくてもよくなるなどというように近現代の、特に先進国と呼ばれる国々では、昔のように単純至極な光と闇に象徴されるような善悪の二元論的な対立構造を認めずに、より冷静で合理的な形で、できるだけ多くの人々が、より豊かで幸せな生き方ができるような方向に大きく変化してきたようなところがあるのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2014年12月3日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 宗教、道徳 / 知恵、正しさ



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