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常に感謝の心を忘れない Part 11

⑦度を越えて、過激な信仰や、理想の価値観に埋没することの危険性について

 七つめは、これは多少難しいのですが、手短かに言うと、愛や感謝、それから、そうした信仰や理想の生活には、幾つか盲点があって、それは、いつの間にか他の人々の存在が見えなくなったり、自分だけ、あるいは、そうした何らかの集団としての理想の世界(時には、単なる空想というより妄想の世界)の中に埋没してしまうことがあるということなのです。

 その結果、これは、結果としては、ちょっと恐ろしいところがあるのですが、こうした愛や感謝、あるいは、ある種の信仰や理想のようなものが、どんどん行き過ぎてゆくと、どこかでその人個人として、あるいは、ある程度の規模の集団として、だんだん思考が止まってゆくようになり、いつの間にか周りの人々の苦しみや悲しみを全く気にしないような、ちょっとした狂気の精神状態に陥ったり、あるいは、いっけん、誰もが納得できそうな崇高な理想や大義名分や、正義の旗印を掲げながらも、現実には、多くの人々を無差別に殺したり、傷つけたりするような非人道的な行為を、どこまでも押し進めてゆくような、国家規模だと、とんでもない侵略国家、また小さな規模だと、テロ組織や犯罪集団が成立してしまうことがあるのです。

 それというのは、これは普通、あまり知られていないのですが、現在、多くの人々が、とんでもない歴史の過ちや、侵略やテロや犯罪と認識しているような行為に加わった人々の精神状態を見てみると、外から見ると、とんでもない侵略国家や、テロリストや犯罪集団にしか見えないのですが、内から見ると、自分達は、世界の恒久(こうきゅう)平和や理想世界の建設を夢見る、最高の平和主義者や人道主義者であると認識していることが、意外と多かったりするものなのです。

 長い歴史の目で見ると、そうした人々が、本当の平和主義者や人道主義者であったかどうかは、わりと簡単に見分けることができるのですが、ところが、ここで問題なのは、実際にそうした信条やイデオロギー(主義主張)の集団に属した人々の目から見ると、なかなか、その違いが分からないことが、意外と多かったりすることなのです。

 ただ、本当は、こうしたことを見分ける判断の基準というのは、意外と簡単で、要は、そうした宗教やイデオロギーで敵対視している国や社会の指導者や、また場合によっては、宗教や思想団体の運営者が、本当に根っからの愚か者や欲ばりや、とんでもない陰謀者でもなく、また、ちょっと努力すれば、普通に会って話し合えたり、何らかの改善の努力をしてくれるような人々である場合には、普通、常識的に考えて、そうした、ちょっと危険な宗教やイデオロギーを信じ込んだり、そうした集団に属するのは、ほぼ100パーセント、この世的に見ても、また霊的に見ても、間違いなのではないか、ということです。

 もう一度、簡単に見分ける点を述べると、こんな感じです。

 要するに信仰や理想として述べていることはいいし、愛や感謝の生活も幸せで良いのだが、ただ結果として、他の人を傷つけ、苦しめることや、その社会の混乱や破壊をもたらす行為を奨励している場合には、いくら信仰や理想や正義、あるいは、愛や感謝を説いたとしても、そうした宗教やイデオロギーは偽物であることが多いのではないか、ということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2013年11月7日 9:03 PM, 宗教、道徳 / 愛について / 政治 / 社会、文化



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