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霊的に見た日本の神道について Part 1

 最近、霊的に対処している内容が、結構日本の昔の出来事に絡んだ話が多かったのですが、よく考えてみると、日本の神話天皇制については、これまでもたくさん述べてきているのですが、肝心の日本の神道そのものに関しては、あまり具体的に書いたことがなかったので、今回から何回かに渡って、霊的に見た日本の神道について、述べてみたいと思います。

 

1、明治以前の日本は、日本中どこの寺や社(やしろ)に行っても、ほぼ似たり寄ったりの神仏や教えや儀式や建物があるような、仏教と神道と儒教と道教を完全に混ぜ合わせたような、超総合(混交)宗教のような宗教形態だった

 これは、私が言うまでもなく、これまでにもたくさんの人々に言われ続けてきた内容になるのですが、一般に日本の神道に関しては、神社の建物や祭祀(さいし)などの形式はかなりきっちりしているにも関わらず、宗教としての肝心要の教えの部分が、何が何だかよく分からないところが問題視されることが多いようです。

 それでは、本当に昔から神道には、何の教えもなかったのか、というと、実際にはそんなことはなくて、これは調べてみると、かなりはっきり分かると思うのですが、明治時代に時の政府が、かなり強制的に「神道」を国家教として統一をかける前には、それぞれの神社ごとに、かなり明確な信仰や教義があったのではないか、というように思われます。

 ただ当時の神社の信仰や教義というのは、今日的な見方としては、ほぼすべて、単に神道の神様の名前のついた仏教の教えのようにしか見えなかったはずなので、そうした面では、明治時代に廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で、神道から仏教の要素を全面的に取り除いてしまった後には、結局、神道自体の教えは何だったのか、ということが、さっぱりよく分からなくなってしまったのではないか、ということなのです。

 それでは、江戸時代頃の日本の宗教の様子は、いったい、どのようなものだったのか、というと、これは今日では、時折、時代劇などで観るだけなので、ほとんどの人には、何が何だかさっぱり分からなくなってしまっているのですが、要は日本中、どこの神社仏閣に行っても、それこそメインに祭ってある神仏の名前こそ違うのですが、それ以外の神仏も何らかの形で一緒に祭ってあるので、たいてい、あの神様も、この仏様も何でも拝めるし、また神道風の儀式やお札でも、仏教風の儀式やお札でも何でも出来るし、もらえる、というような、はっきり言うと、どこもほぼ似たり寄ったりの仏教や神道や儒教や道教の何でも寄せ集めの混交教、もう少しよく言うと、当時日本にあった、ほぼすべての宗教が混じりに混ざった超総合宗教のような宗教形態になっていたのではないか、ということなのです。

 それが明治時代になると時の政府が、当時の宗教勢力としては全く思いもしていなかったような、今日的に言うと、大宗教弾圧、あるいは、大宗教統制をかけて、神道以外の宗教団体を一方的に排除してゆき始めたために、その時点では、もはや神社とも仏閣とも言いがたい、ほぼ完全な統一状態になっていた日本中の神社仏閣(というか、もっと正確に言うと、仏閣様式の寺や社(やしろ))が、強制的にすべて分割され(多分、今日的には間違いが、かなりあったように思われます)、一方は、たくさんの仏像や経典もあれば、僧侶もいる仏教の寺となり、一方は、そうした宗教的な中身自体は何が何だか分からなくなって、ある程度、立派な境内や建物はあるんだけど、信仰している対象や教えや教える人が、あるようでない、ちょっと訳の分からない、言葉は悪いのですが、ある種の「がらんどう教」の社(やしろ)になってしまったのではないか、ということです。

※江戸時代の宗教の一例としては、例えば、神仏習合で、「天照大神」と「大日如来」や「観音菩薩」がほぼ同一視されて、拝む対象になっていて(場合によっては、そうした仏像や神像もしっかり祭ってあって)、その上で、仏教とも神道とも儒教とも道教ともつかないような、それぞれの宗教のエッセンスが入り混ざったような、「人間として正しく生きなさい」というような宗教道徳の教えがあって、そして、そうした宗教的な基本の上で、それぞれの宗教ごとにかなり違った特色を打ち出している、というような状況だったのではないか、と思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2013年10月10日 9:01 PM, おすすめ記事 / 歴史 / 神道



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