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幸福について Part 4

②人間には、単に何らかの体験をしているだけで幸せというような単純至極な「絶対幸福」の世界もある

 第二には、これは誰でも体験があると思うのですが、例えば、オレンジやリンゴを食べて単純に美味しいと感じたり、天気の良い日に散歩したり、走ったりした際に自然自然のうちに感じる楽しさや悦びのような幸福感のことを、ここでは「純粋な幸福感」、もしくは、「絶対幸福」と呼んでいます。

 つまり特に自分自身の過去の体験や他の人々の状況との比較なんてしなくても、自然自然のうちに楽しみや悦びを感じるとか、自然自然のうちに心からの幸せを感じるような幸福感が世の中にはあるということなのですが、実は、こうした人間の自然の幸福感というものを最も失いやすいのが、現在多くの人々が営んでいる文明生活であるのです。

 これはテレビや本などで現代の発展途上国の人々の生活や山奥や辺ぴな地域で原始生活を営んでいる人々の生活を知ると、結構誰でも分かると思うのですが、文明生活というのは、生活の便利さや快適さと引き換えに結構厳しい決まり事や制限や義務などを要求してくるのに対して、そうしたあまり文明社会でない人々の生活では、それなりの厳しい掟や重労働もある反面、笑いたい時には、いつでも自然に笑ってよいとか、怒りたい時には、いつでも好きなように怒ってよいとか、やりたいことがあれば、やりたいだけ何でも我慢せずにやってよいとか、好きな放題、体を動かしたり、声を張り上げたり、むちゃなことに挑戦したり、無理せず休んでもよいことになっていることが多いので、そうした人々の方が、ある意味で文明生活に染まり切った人々よりも、より自然に調和した人間らしさを謳歌できるというか、より人間的に自由で快適な生活ができるようなところもあるようなのです。

 文明論的には、こうした文明生活と原始生活のギャップが人類の集合意識に悪影響を及ぼして、文明衰退の間接的な原因になることもあるのですが(参考)、要は文明生活というのは、ある意味で人間にかなりの不自然さというか、非人間的、非生命的な決まりや存在のあり方を強要してくるようなところもあるために、そうした点では発展途上国で生活する人々や原始生活している人々の方が、より人間的で自然なより幸福度の高い生活をしていることもあるということなのです。

 こうした点で、実は現在の先進国の人々は、発展途上国の人々や原始生活している人々から学ぶべきものが結構たくさんあるようなところもあるのですが、それはともかくとして、ここで言いたいことは、人間には、それ以前の自分自身の体験や他の人々の生活と比較して感じられる幸福感だけではなく、単に食べたり飲んだりするだけで楽しいとか、単に歩いたり走り回ったりするだけで嬉しいとか、単に生きているだけで幸せというような、単純に何らかの行為をするだけで幸せとか、純粋にただじっとしているだけでも幸せ、というような何の比較も必要としない単純な幸せというものあるということなのです。

※これは発展途上国の人々の生活や原始生活をしている人々の生活を決して馬鹿にするような意味ではありません。実際、今日先進国で流行っている音楽や芸術など、特に人々の感性に訴えかけるような作品を見ると、その良し悪しはともかくとして、原始的で生命感のあるリズムや動作や人間の本能や欲望を大々的に肯定するメッセージや、文明生活の破壊や否定や自然や生命の素晴らしさをモチーフにしたものがたくさん見られます。その意味で現代の人類の二元性というのは、文明生活と原始生活や、都市と農村といった方面にも明確に現れていたものと思われるのですが、今後は、そうした内容も、それぞれの良さを生かした形でだんだん統合した形の新たな地球文明が出来上がってゆくのではないかと思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2013年8月10日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 知恵、正しさ



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