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絵や像の問題点について Part 6

現在、人類の文明は、最終的に、人間自身を信頼して、人間の文明を維持してゆくか、それとも、人間以外の書物や機械を信頼して、ロボットやコンピューターに支配された機械の文明に変化してゆくか、ということの大きな分かれ道に立たされている

 さて、それでは、このような状況において、いったい、どのように考えることが最善なのか、というと、だいたい、次のような三つのことが言えます。

 

①どんなに素晴らしい映像や写真や文章であっても、基本的には、何らかの存在や意味を表した、単なる写しや象徴に過ぎない、ということは、時折、しっかり確認し直す必要がある

 まず第一には、正直言って、これは、人によっては、とても難しいのではないか、と思われるのですが、普通の観賞用の絵画や書道のようなものは、ともかくとして、特に神仏や人物を扱った映像や写真やポスターのようなものに関しては、前から何度も述べてきたように、たとえ、自分が、どんなに大好きで、気に入ったものであっても、基本的には、単なるイメージや象徴に過ぎない、ということは、時折、よくよく自分に言い聞かせて、そうした映像や文字ではなく、そうした映像や文字が示している、当の神仏や人間の存在の方に、自分の意識を合わせ直すような機会を持つことが、とても大切なのではないか、ということです。

 

②何らかの神仏や人物に過剰な思い入れをする人の中には、そうした神仏や人物を、まるで自分自身のように錯覚している人もいるので、時折、冷静には、本当の自分自身のあり方を見直す必要がある

 第二には、これも、人によっては、とても難しいことなのではないか、と思われるのですが、特に、こうした、自分にとって、あまり身近ではない、少し遠目にあるような神仏や人物に対して、過剰な思い入れをしやすい人は、もう一度、冷静に自分自身の現在のあり方を見直してみて、そうした偉大な神仏や、有名な大スターのような人物に、それほど過剰に精神的に依存しなくても、自分自身の自然な幸福を見つけ出せるような努力を始めることが、とても大切なのではないか、ということです。

 これは、前にも述べたことがあるのですが、世の中には、その人自身としては、あまり自信が持てない上に、特に、これといった幸福や成功のための努力もしないにも関わらず、その精神的な補償行為として、何らかの超越的存在である神仏や、あるいは、そうした神仏に近い、大スターや有名人のような人物に対して、過剰な思い入れをすることによって、まるで、そうした神仏や大スターや有名人の存在自身が、自分自身の幸福や成功そのものであるかのように盲信してしまうケースがあるからなのです。

 ですから、こうしたケースの場合には、もう一度、自分自身のあり方を見直してみて、そうした神仏や大スターのような人物を、純粋に尊敬したり、見習ってゆこうとすること自体は、よしとするけれども、ただ、あまりにも過剰に依存しすぎたり、あるいは、そうした神仏や人物を、まるで自分自身の存在そのもののように考えることは、厳に慎まなくてはならないのではないか、ということです(参考)。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2013年4月17日 9:08 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 宗教、道徳



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