Light Symbol

絵や像の問題点について Part 5

異次元には、現実の存在以外に、非常にたくさんのある種のイメージ存在のようなものが活動していることもあるので、注意が必要である

 さて、それでは、こうした、ある程度、硬い平面上に描かれたイメージや象徴のようなものに関して、いったい、どのようなことが言えるのか、というと、大まかに言うと、だいたい、次のようなことが言えます。

 これは、現代の地球人は、まだ、あまりよく理解できていないような話なのではないか、と思われるので、例をあげて、説明したいと思うのですが、例えば、ここに、Aという大スターがいたとします。

 たいてい、多くの人々は、直接、A本人と会えるような機会は、めったにないので、A本人ではなく、いつもは、せいぜい、テレビや映画や雑誌などの、その人の映像や写真やポスターなどを日常的に見るようになると思われるのですが、この時に、霊的、というか、異次元的には、次のようなことが起きています。

 普通、大スターともなれば、特に休みでもなければ、ものすごく忙しくしていることが多いので、おそらく、そのAという大スターも、「今度は、この仕事、今度は、この企画や宣伝・・・」、などという具合に、次から次へと、いろいろな仕事をしていると思われるのですが、その傍らで、そうした仕事の結果、何十万、何百万というような大勢の人々が、その人のテレビや映画を見たり、その人の写真やポスターを見たりしているわけです。

 そうすると、霊的、というか、異次元的には、いったい、どのようなことが起きるのか、というと、忙しく働いているAという本人とは全く別に、そうしたAと非常によく似た、Aのイメージ存在のようなものが、そうした映像や写真に、ちょうどダブるような形で、たくさん現れてきて、少し霊的なことが分かる人だと、「あ、顔の表情が変わった」、とか、「ああ、何となく、こんなことを思っているんじゃないか」、などという具合に、霊的、というか、異次元的に、あちこちで活動するようになってゆくようなところがあったのです。

 そうすると、これは、もっと不思議な話になるのですが、このような形で、Aという人物と非常によく似た、たくさんのイメージ存在のようなものが、世界中のあちこちで活動するようになると、例えば、ある人が、「もし、Aいう人に、本当に会えたら、こんなことを話してみたい」、とか、「こんなことをしてみたい」、というようなことを、毎日のように強く思うようになった場合には、そうしたA本人の意識とは全く別に、あるBさんの強くイメージしたAのイメージ存在や、あるCさんの強く妄想したAのイメージ存在などというように、元々のA本人の考えや都合とは、全然、関係なく、次から次へと、A1、A2、A3、A4・・・、などというように、そうした映像や写真やポスターを霊的な縁にして、異次元の世界に、Aのイメージ存在の変形版や発展版のようなものが、次々と現れてゆくようなところがあったのです。

 この後が、さらに不思議なのですが、実は、このような形で、Aのイメージ存在の変形版や発展版が、異次元の世界のあちこちに増えてゆくようになると、ある段階から、そうしたA本人とは、全く異なる、つまり、A本人とは、全く別存在であるにも関わらず、まるでA本人のように振る舞おうとする、自称A本人のイメージ存在のようなものが、霊的、というか、地上の世界を縁とした異次元の世界に、かなり強固なリアリティーをもって、実際に存在し、活動するようになってゆくのです。

 ところが、この後が、ややこしいのですが、この自称A本人のイメージ存在のようなものは、確かに、ある見方としては、A本人のようなところもあるが、ただ、別の見方としては、A本人とは、全く関係ないようなところもあるので、そのうち、地上の世界に近い、あまり次元的に高くない物理世界では、そうしたA本人の意識存在と、それとは似て非なる、たくさんのAのイメージ存在が、多くの人々の間で、いったい、どっちが本物で、どっちが偽物なのか、よく分からなくなるような形で混同されてゆき、あちこちで誤解や混乱を生むようになってゆくことがあるのです。

 これが、巷でよく噂されるような、大スターのイメージと、当の本人とのギャップ、もしくは、それにまつわる、さまざまな悩みや葛藤の話につながってゆく、ということなのですが、それは、ともかくとして、要は、現在、みなさんが、何となく思っている、「この人は、こんな人」、とか、「あの人は、あんな人」、というような人間のイメージというのが、特に、普段、あまり身近に見ないような、大スターのような人物に関しては、とかく、ずれてゆきがちなので、時折、特に、そうした大スターのような人物に関しては、現在の自分の見方と、本当のその人の実態が、あまり、ずれすぎていないか、ということは、チェックする必要があるのではないか、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2013年4月16日 9:02 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 宗教、道徳



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