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絵や像の問題点について Part 4

5、人類の心の奥に潜む、写真や絵や文字の書かれた平面に対する過度の依存や信頼感について

 最後に、もう一つ述べておきたいと思うのが、これは、人類の歴史の中でも、特に秘教や神秘主義の分野で伝えられてきた内容の、少し不思議な話になります。

 それは、いったい、何なのか、というと、人間の意識の中には、みなさんが、今、まさに見ているような、こうしたコンピューターの画面や書物のような、わりと硬い平面の上に、たくさん写真や絵や文字が書かれているようなものに対する、よく考えてみると、全く訳の分からないような、ものすごい畏敬の念や、ものすごい信仰の念のようなものがある、ということなのです。

 これも、言って見れば、多くの人々の心の奥の欲求、「常に恐怖心や不安感にさいなまれがちな人間社会において、ほんのわずかでもいいから、何か確かな拠り所となるような安定感や信頼感のあるものが欲しい」、というような心の奥からの欲求に基づいているようなところもあるのですが、ただ、よく考えてみると、現実には、かなり的外れなところもあるのではないか、ということなのです。

 これも紙面の都合で、手短かに要点だけ述べたいと思うのですが、まず第一には、霊的に見た場合、こうしたコンピューターの画面や紙で出来た書物や額縁に入った絵や写真などの平面に、どんなに素晴らしい言葉や絵や写真などが描かれていたとしても、それは、単に何らかの存在や意味を表した、かなり正確な写し(写真やイラストなど)や、あるいは、大まかなイメージや象徴にすぎないので、霊的には、絶対に、そうした物自体を崇拝するような対象にしてはいけない、ということです。

 第二には、これも、考えて見れば、とても不思議な話になるのですが、人間の精神には、とても不思議な働きがあって、例えば、毎日のように、多くの人々が、「これは、本当に素晴らしい。心から信頼できる」、とか、「本当に、これが大好きだ」、とか、「本当に、この神仏や、この人物を尊敬している」、などと思って、何らかの物を見ていると、いつの間にか、そうした物が、何となく光って見えるようになったり、あるいは、何となく、まるで、何かの霊でも乗り移ったかのように見える、というような、非常に不思議なところがあるのです。

 こうした事情から、霊的な立場で、現在の人類の文明を見ていると、神仏の絵や像への信仰の思いとも非常によく似た、ある種の絶対的な信頼感や尊崇の念というものを、多くの人々は、なぜか、そうした書物や肖像画や、あるいは、機械やコンピューターのようなものに寄せつつあるような状況になってきているようなところがあるのですが、実は、霊的に見た場合には、こうした多くの人々の態度や考え方というのは、結構、問題が多いのではないか、ということなのです。

 

 続く・・・

 

 

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Cecye(セスィエ)

2013年4月15日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 宗教、道徳



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