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「愛」について Part 2

2、本当に「真実の愛」や「愛の実現」を求めてゆくと、なぜか、いっけん、それとは全く関係なさそうな何らかの専門的な知識や技術の修得や、この世的な自由や成功や経済的な豊かさが、どうしても必要になってくることがある

 第二には、これは、いっけん愛とは直接、あまり関係なさそうな話になってくるのですが、この地上の世界において、こうした「真実の愛」、もしくは、「愛の実現」というものをある程度、真剣に考えた人というのは、ほぼみんな、いっけん愛とは、あまり関係のなさそうな何らかの専門的な知識や技術の修得や、この世的な自由や成功や、あるいは、経済的繁栄のようなものを心の底から求めるようになってゆくことが非常に多いということです。

 それは、なぜなのか、というと、これは現代人には、至極当然の話になってくるのですが、もし、そこに病人や怪我人がいて、現実にその人を救おうとすれば、医療の知識や技術がいるし、また、もし、そこに貧しい人がいて、現実にその人を救おうとすれば、自分自身がある程度、豊かになって、お金や食べ物をあげたり、あるいは、仕事を教えてあげたり、働く場所を作って、末永く豊かに暮らせるようにしてあげる必要があるし、それから、もし、そこに何らかの悩みや苦しみを抱えている人がいて、現実にその人を救おうとしたら、そうした悩みや苦しみを減らしたり、抜本的になくしてしまうための何らかの知識や技術をマスターしたり、あるいは、新しい発明や発見をしたり、何らかの事業を作り、大きくしてゆくようなことが必要であることが、この世の中では、結構多いからなのです。

 ですから、ここ数百年、数千年の人類の歴史を見ると、昔の宗教のように「他の人や生き物に優しくしなさい」とか、「愛や慈悲の心で生きなさい」というような宗教的、道徳的な教えによって、確かに多くの人々が、お互いに愛し合い、助け合うようなある程度、幸福な社会は築けることは築けるのだが、それ以上に幸福で豊かな社会には、なかなかならないようなところがあったので、特に近現代に入ると、どの国も、国家規模で政治制度の仕組みを整え直すと共に、全国民的な教育水準の向上を図って、その国中、社会中、どの人もどの人も、ある程度以上の知恵や技術を持つのみならず、基本的には、神仏や、どこかの偉い人に頼りきり、任せきりにならなくてもいいくらいの政治的、経済的な自立や自由や豊かさを手に入れられるような社会状況に変化させるようにしてきたのではないか、ということなのです。

 その結果、現在では、いっけん、それほど宗教的、道徳的には、あまり優れているようには見えない「先進国」と言われる国々の方が、わりと宗教的、道徳的には、かなりきっちりしているように見える、そうでないような国々よりも、病気の人も少なく、貧しい人も少なく、不幸な人も少ない、より幸福な社会になってきているということなのですが、それもこれも宗教的、道徳的には、至上の原理であるはずの「愛」や「慈悲」の原理を、そうした「先進国」と言われる国々の人々は、いっけん精神的には、それほど真剣に実践していないように見えるにも関わらず、より具体的、実践的には、そうした愛や慈悲の原理を現実化していることが多かったからなのではないか、ということなのです。

 その意味で私は、確かに愛や慈悲の精神はとても大事なことだが、その具体化や、現実の救済のためには、どうしても、それとはいっけん、あまり関係なさそうな知恵や技術の修得や、この世的な自由や成功や、経済的豊かさの実現が、どうしても必要なところがある、というように感じております。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年11月23日 9:02 PM, 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 愛について / 成功論、繁栄論 / 政治 / 教育 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 科学、テクノロジー / 経済



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