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霊的に見た「悟り」について Part 2

3、長い人生の間には、時々、大変困難な時もあるものだが、そうした時にパッと新たな創造的な発想や行動で乗り切ってゆけるような人が、より悟った人であると言える

 第三には、これは少し違った観点になるのですが、たいてい、どんな人であっても人生というのは、いつもいつも順風満帆には行くものではないので、短くて数年、長くても数十年の間には、ちょっとその人のそれまでの人生での対処法では対処しきれないような、とんでもない出来事が起きることがあります。

 ただ、そうした際に、いつまでも慌てふためかずに、どこかの段階で、パッとこれまでのやり方とは、全然違った創造的な発想や行動で乗りきってゆけるような、いわゆる創造性のようなものが、どれだけあるか、ということも悟りの要素に加えてよいようなところがあると思われます(おそらく禅宗の「公案」は、そうした背景から考え出されたものなのではないか、と思われます)。

 

4、いつも自分のことばかり考えるのではなく、他の人々や生き物達のことや神仏のことを考えて、愛に満ちた心で生きているような人が、より悟った人であると言える

 第四には、今度は少し違った話になるのですが、これも喩え話になりますが、そこに二人の人物がいるとして、一人は、いつも自分のことばかり考えて、「ああでもない、こうでもない」と思い悩んでばかりいるのに対して、もう一人は、常に自分のことだけでなく、他の人々や生き物達のことや、神仏のことに思いを巡らして、どうすれば他の人々や生き物達を幸せに出来るか、それから、どうすれば神仏のために何かできるか、ということを考え、愛に満ちた心で行動していたとすると、この場合、やはり、たいていの人は、前者の人は悟りとは、ほど遠い人間であると考え、それから後者の人の方を、より人間的に出来た、より悟った人間であると考えるのではないか、ということなのです。

 こうした観点から見た場合、まずは自分自身のやるべきことが、きっちり出来ることが大切なのですが、昔から宗教や道徳でよく言われてきた通り、基本的に常に自分のことばかりでなく、他の人々や生き物達のことや神仏のことを考えて、愛に満ちた心で生きているような人が、より悟った人間であるということが言えるのではないか、と思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年10月23日 9:04 PM, インド思想、ヒンドゥー教 / 人生観、世界観 / 仏教 / 宗教、道徳



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