Light Symbol

多くの人々は、言語力の差によって、全く気付かないうちに社会的地位や経済力の格差を受け入れざるを得ないようなところがあった Part 3

3、親の教養や経済力の差によって、子供の言語能力には、かなり大きな違いが見られるのみならず、さらにその後の人生においても、社会的地位や経済力の面で大きな格差が生じることがあるので、注意が必要である

 さて、こうした状況では、言葉に関して、いったいどのようなことが言えるのか、というと、だいたい次のような三つのことが言えます。

 

①公の見解とはかなり違って、親に教養や経済力のある家庭の子供と、そうでない家庭の子供の間には、かなり大きな言語力の差があるために、その影響によって、特に小中学校ぐらいまでの成績は、半自動的に決まっていってしまうようなところがあった

 まず第一には、これは、前にも述べたのですが、現在、多くの人々は、幼い頃の学校での体験から、何となく、「世の中には、頭の良い人と、頭の悪い人がいる」とか、「勉強の出来る人と、勉強の出来ない人がいる」などと強く思い込んでしまっていることが多いかもしれないのですが、実際には、そうではなくて、たいてい世の中では、親に教養があるか、あるいは、経済力がある場合には、わりと小さい頃から、たくさん本の置いてある環境で、まるで当たり前のように本に触れたり、知的な会話を聞きながら育っていったり、あるいは、塾や習い事などで、たくさんの言語能力を開発していることが多いということなのです。

 その結果、小学校に入った最初の段階で、せいぜい数百語ぐらいのボキャブラリーしかない子供達と、それとは対象的に、もうすでに千数百語ぐらいの言葉のボキャブラリーなら、ある程度、簡単に理解できるような子供達の大きく二種類の子供達がいるということになるのです。

 当然のことながら、その後、せいぜい数百語程度のボキャブラリーしかない子供達は、学習上、いろいろな困難や障害につまづきやすくなるのですが(つまり、教科書を読んだり、人の話を聞くだけで困難を感じるような状況になりやすい)、その反対に、千数百語ぐらいのある程度、豊かなボキャブラリーのある子供達は、少々難しい授業になっても、わりと易々とついてゆくことができるなどというように、最初の段階から、その子供達の言語環境の良し悪しによって、その後の小中学校ぐらいまでの成績は、わりと半自動的に決まっていってしまうようなところがあったということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年10月14日 9:02 PM, 教育 / 知恵、正しさ / 社会、文化



«

»

おすすめ記事

過去の記事