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知恵の基礎は、自分が、すでに知っていることと、まだ、よく知らないこととの違いをある程度、客観的に理解できるようになることから始まる Part 2

②現代社会には、学歴や経歴に対する過剰な思い込みがあるのだが、ある人の学歴や経歴や実績というのは、過去や現在のある時点までのその人の知識や能力や実績を示すものであるので、それ以降、あるいは、その専門分野以外でのオールマイティーな知識や能力や実績を示すものではないということは、ある程度、客観的に理解しておく必要がある

 第二には、なぜか現代の社会には、学歴や経歴に対する過剰な思い込みのようなものがあって(おそらく、まだ社会が近代化して、それほど日が経っていないからだと思われます)、それというのは、なぜか多くの人々は、○○大卒とか、○○大企業の人というと、もうそれだけで相手を過剰に持ち上げて、多少、自分を萎縮して見てしまうようなところがあるのですが、ただ、これは、ほぼ完全に単なる思い込みに過ぎなくて、要は、学歴や経歴があると言っても、それは過去や現在のある時点でのその人の知識や能力や実績を表しているに過ぎないので、それ以降の、あるいは、その人の専門分野以外のことに関してまで、何でもかんでもオールマイティーな知識や能力や実績があることを表しているわけではないのです。

 ですから学歴や経歴というのは、そうした何らかの専門分野の中では、確かにそれだけの高い知識や能力や実績を期待できるものであることは事実なのですが、ただ、それ以降、もしくは、それ以外の専門分野に関してまで、何でもかんでも神様やスーパーマンみたいにその人が、何でも知っているわけではないし、また、何でもうまくやってくれるわけではないということは、よくよく理解しておくべきなのではないか、というように私は考えております。

※よく、ものすごく過大評価され、勘違いされやすい職業として「大学教授」や「博士」と名のつくような職業があるのですが、要は、「大学教授」や「博士」と名のつくような人々というのは、何でも知っている完全な知識人ではなく、一般には、何らかの狭い特殊な専門分野において、非常に博学な知識や卓抜な技能を持つ人々であるということなので、それゆえ当然のことながら、その人の専門分野以外のことに関してまで、何でも知っているわけではないし、また宗教的、道徳的な哲人のような存在でもないし、また、そんなことは元々、あまり期待されていない(普通の善良な人間としての性質や、研究者や教師としての有能性は期待されていますが、要するに、ただの人間だということです)ということは、ある程度、あらかじめ知っておくべきなのではないか、と思われます。

※普通、どんな分野でも、その道のプロフェッショナルになるには、かなりの年月や努力を要するものなので、それ以外の分野のことまで、何でも知っているとか、宗教的、道徳的哲人であることまで期待するなんて、単なる過剰な思い込みに過ぎないのではないでしょうか。

※それから政治家や法律関係の仕事に関しても、ほぼ同じように、そうした政治や法律に関する仕事に関しては、かなりのプロフェッショナルな知識や能力や実績が要求される仕事であることは、確かに事実であるのですが、だからと言って、そうした専門分野以外のことも何でも知っているとか、日頃の生活すべてが、まるで神様やスーパーマンみたいな人であることを要求することは、そもそも最初から無理な話なのではないか、と思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年9月28日 9:05 PM, 知恵、正しさ



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