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より冷静で客観的な歴史認識を持った上での、世界の国々と末永く平和に繁栄してゆけるような未来志向の国家運営を目指して Part 1

 今回から、また内容が少し変わったのでタイトルを変えます。

 

 それでは、ここまでの話をまとめると、いったいどのようなことが言えるのかというと、これも大まかに要点のみの話になってしまうのですが、だいたい以下のような内容になります。

 

1、戦後、巨大な軍事大国になった「核大国」と言われる国々であっても、彼らの表向きのアナウンスとはかなり違って、大戦末期に原爆が使われた広島や長崎の莫大な破壊の惨状や、非常に長期に及ぶ被害の状況というのは、後々まで、かなり大きな影響を与えることになったので、その結果としての戦後の日本の平和アピールは、かなり長い期間に渡って、核戦争を未然に防ぐような非常に重要な役割を果たしたのは、歴史的な事実である

 まず第一には、これも結果論としか全く言いようがないようなところがあるのですが、第二次世界大戦後、巨大な軍事大国となったアメリカやソビエトといった元連合軍の表向きのアナウンスとはかなり違って、彼らの政治指導者達の本音としては、第二次世界大戦後も、かなり長い期間に渡って、大国同士の軍事競争が誰にも止められないような状況になってしまったので、常に表向きのアナウンスとしては、「あの原爆投下は正しい決断だった」と言うしかないような政治状況に置かれがちだったのですが、ただ彼らの本音としては、正直言って、大戦末期の広島や長崎における原爆の凄まじい破壊力や、長期に渡る非常に大きな被害の惨状を知るにつけ、本当はいくら戦争終結のためだったとは言え、同じ人間として深い悲しみや同情を感じざるを得なかったし、また「かなり申し訳なかった」というような深い後悔や反省の気持ちも感じていたので、それゆえ、できれば、ああした核兵器の再使用は自国においても、またその時点では、いっけん敵対関係になってしまっている相手の国(「仮想敵国」と言いますが)に対しても、「絶対に使いたくないものだな」と、かなり深く考えさせるような結果になったのではないかということです。

 その結果、これは本当にあまり良いとは言えないような歴史の教訓であるとしか全く言いようがないのですが、第二次世界大戦後、国際社会において、いかにさまざまな原因で大国同士が、かなり敵対的な緊張状態に置かれるようになったとしても、あと一歩のところでパッと踏みとどまって、「比較的狭い地域に限定された、小さなの規模での通常兵器のみを用いた紛争程度のものであるなら、ある程度は仕方がないにしても、核兵器の使用だけは、いくらたくさん配備してあっても、絶対に避けなくてはならない」とか、「核兵器は、『使うぞ、使うぞ。いつでも使えるぞ!』と言って、政治や軍事上の有利な状況を作り出すための政治上のカードとしては使うけれども、実際には自国が使ったら、相手も使うだろうし、また、そういう状況だから、相手も絶対に先には使ってこないだろうし・・・」などというように、はっきり言うと、いつの間にか核兵器というのは、持ってはいても、お互いに絶対に使わない、使えない、超強力すぎる兵器のような存在になってしまったということなのです。

 その点で、戦後の広島や長崎の核廃絶を訴える地道な取り組みというのは、これは国際社会で、公に認められることは非常に少ないのですが(核保有国は、核兵器を持っている大義名分がなくなってしまうので)、戦後、日本が全世界に対して最も良い影響を与えた政治的なPR、もしくは政治的デモンストレーションの一つであったというのは、まぎれもない事実だと思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年8月13日 9:03 PM, 政治 / 歴史 / 軍事



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