Light Symbol

日本の昭和初期の頃の時代が、かなりごちゃごちゃして、どす暗く感じられるのは、当時の政治家(軍人)の政治責任をかなり誤摩化して説明しているからなのではないか Part 2

②大日本帝国時代、当時の天皇はかなり強い権力を持っていたはずなのだが、さらにそこで天皇を教主とするような「天皇教」を国家宗教に据えてしまった場合には、「当時の軍部の独走によって戦争が起きた」という主張には、正直言って、かなり無理があるのではないか

 第二には、そうすると、一般に「当時の軍部が大暴走を始めて止まらなくなった」と言われている昭和の暗黒時代のような時期については、いったいどのようなことが言えるのかというと、これは歴史の結果論であるとしか全く言いようがないのですが、この場合、後世の視点から考えてみて、「これは、ちょっと・・・」と思われるのが、なぜ全国隅々の学校に天皇・皇后の写真(御真影)を飾らせ礼拝させて、しかも、それを絶対的に強要させるような宗教国家体制にしてしまったのかということです。

 もし、こうした宗教国家体制にしてしまっているにも関わらず、それと同時に当時の天皇が、かなり強大な国家権力を束ねている場合には、はっきり言って、その下の国民(当時は、臣民)の側としては、結局、どんなことをしても最後には、何でも天皇が「生き神(現人神、あらひとがみ)」になっている政府の言いなり状態になってしまうということなのです。

 ですから、そうした統治体制では、いくら武装した軍人が大勢、徒党を組んで軍閥を作っていたとしても、結局、何をするにしても最終的な判断に関しては、常に天皇直々の許可が必要だったと思われるので(いわゆる「統帥権」と呼ばれるものです)、そうした状況から考えるに、現実には天皇が全く関係ない状態での軍部の独走というのは、そもそも無理な話だったなのではないか、というのが私の素朴な感想になります。

※つまり「御前会議(当時の天皇が最終決定権を持つ会議)での昭和天皇(裕仁)の決定の結果、真珠湾攻撃によるアメリカとの戦争が始まった」と聞けば、わりと単純に「当時の状況なら、ああ、そうだよね〜」と納得できると思われるのですが、それがそうではなく、「天皇が、いつも出席している御前会議はあったけど、当時の軍部の人達が勝手にあれこれ相談して、海軍の連合艦隊や陸軍の大部隊を動かして、アメリカとの大戦争を始めてしまった」と言われると急に責任の所在が曖昧になって、何が何だか訳が分からなくなってしまうようなところがあるのです。これは戦国時代で言うと、「織田信長が率いる尾張の軍勢が桶狭間で、今川義元率いる駿河の軍勢を破った」と言われれば、「ああ、そうですね」と簡単に理解できるのですが、それが「織田信長はいたけど、尾張の軍勢が勝手に暴走して桶狭間を攻めて、今川義元を打ち取り、駿河の軍勢は敗退してしまった」と言われると、何だか分かったようでよく分からないような感覚になってしまうと基本的には全く同じことです。

 

③大日本帝国時代、当時の多くの日本人は全く政治決定に参加できなかったので、当然、当時の戦争責任は、一般の国民の側ではなく、当時の政権担当者のみに帰せられるものである

 第三には、これは前にも少し述べましたが、何となく現在の日本では、「日本人が侵略行為をしたので、日本人みんなに戦争責任があるのだ」とか、「日本が悪かった。だから、みんなが悪かったから戦争になったのだ」というような論調の話がとても多いのですが、これは歴史的には、はっきりしているのですが、当時の日本は民主主義国ではないので、当時の大部分の日本人の感覚としては、はっきり言って、自分達の代表が政治家になっているという感覚もなければ、同じように自分達の代表が議会を運営しているという感覚もないし、それゆえ、当然のことながら、自分達の代表が軍隊を運営しているというような感覚も全くなかったのではないか、ということなのです。

 ですから、当時の大多数の日本人の感覚としては、軍隊のことなんて、当時の偉い人達が勝手に決めていることだし、その上、どの人が兵隊になるかということまで勝手に決められてしまうような状況であったので、はっきり言って、そうした感覚しか持っていない当時の大多数の日本人に戦争責任なんて全くあるはずないし、それから、その結果、あちこちで無謀な攻撃や防衛をやらされたり、あちこちで侵略行為をやらされたり、戦争の惨禍に巻き込まれた責任も、当時の大多数の日本人には、ほとんどなかったのではないかということなのです。

 それでは、その政治責任は、いったい誰にあったのかというと、それは明確で、当時の日本軍の最高司令官であり、さらに政治上の最高責任者でもあった当時の「昭和天皇(裕仁)」にあったということになります。

 要は、ここで言いたいのは、現代日本人としては、「当時の戦争が、なぜ起きたのか、なぜ誰にも止められなかったのか」ということに関しては、当時の政治状況を冷静に調べ直して、もう少し具体的に「これは軍部の誰それの決定の結果、そうなったが、これは当時の天皇直々の判断によって、なされたものだ(もしくは天皇の許可、裁可がないとできなかったはずだ)」とか、「これは確かに現地の指揮官の勝手な独断によって起きたことなので、責任はその人物にあると思われる」とか、「この件に関しては、政治上あるいは戦争の経過上、仕方なくなってしまったことなので、当時の日本軍の指揮官にも天皇にも責任があるとは、あまり思われない」などというように、当時の出来事の一つ一つに関して、「いったい誰が、どんな目的のもとに何をした結果、起きたことなのか」ということを、もう一度、よく調べ直す必要があるのではないかということなのです。

※当時の連合国の側でも、戦後、こうした形で第二次世界大戦中の政治決定や軍事決定に関して、わりとオープンな形で議論していることもあるようなのですが、それが戦後の軍事裁判の件でもよく分かるように当時の日本人には(それ以前の洗脳と恐怖政治がきつくて)、そうした政治責任や軍事上の責任を客観的な形で問うことができるような能力がなかったことと、それから連合国側としては、多くの日本人に対して、「あなた方は政府の教育とアナウンスで『正義の戦争をした』と思い込まされているかもしれないけど、日本の戦争は、そんなに良いものだけじゃなかったし、迷惑を被った人々もたくさんいるんだよ」とか、「崇高な理想や天皇への忠誠心や単純な愛国心だけで全国民が一つにまとまり、盛り上がるようなことをさせていると、またすぐに国民一丸となって大戦争の準備を始めるとも限らないので、君達は、もう少し実際の戦争の悲惨さや他の人々の苦しみや悲しみを知って、少しシュンとして反省するくらいの気持ちでいてくれないと困るよ」というような感覚で、戦後の日本の新体制を築こうとしていたのではないか(戦後の新体制になると、選挙で選ばれた国民の代表が日本を統治するようになるので)ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年8月10日 9:06 PM, 政治 / 歴史 / 軍事



«

»

おすすめ記事

過去の記事