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原子爆弾について Part 3

②1940年代当時の日本の軍事政権の事情を考えると、確かに原爆の投下がなかったら、その後もずっと戦争を長引かせた可能性が高いというのは、まぎれもない事実である

 第二には、これはあまり考えたことがないのではないかと思われる話になるのですが、単純に1940年代の大日本帝国の様子を想像してみるに、もしアメリカが原子爆弾を使わなかった場合には、おそらく当時の日本の軍事政権は連合国側に対して、全く降伏する意思がなかったと思われることから、多分、戦争がそのまま続けられるなら、その後、45年の末になっても、さらには46年、47年、48年になっても降伏しない・・・、というような具合に、当時のナチス・ドイツが、アメリカ軍主体の連合軍とソビエト軍主体の連合軍の板挟みになって、政権が壊滅状態になるまで全面戦争を遂行したように、当時の日本の軍事政権も、九州や北海道で大激戦が起きて、敵味方共に数十万人が亡くなったとしても、当時の天皇中心の戦時体制が存続できるのであれば、おそらくその後、四国が大激戦地になろうが、関西が壊滅状態になろうが、いつまででも戦争を遂行した可能性が極めて高いということなのです(先のイラク戦争でもよく分かるように独裁国が戦争をやると、よくそうした状態になることがあります)。

 ですから当時の連合国というか、太平洋方面で日本軍と、主として戦争を行っていたアメリカ軍の立場としては、「サイパン、硫黄島、沖縄などで日本軍と地上戦を行うと、決死というより、ほとんど狂気の作戦を行って、連合国側にとんでもない数の犠牲者が出るので、さっさと日本政府に以後、絶対に軍事政権ができないような形で降伏させられないか」とか、「戦争が長引くと、北側からソビエト軍が侵攻してくるはずだから、このままだとドイツと一緒で日本も、北側はソビエト軍で、南側はアメリカ軍での二つの分割統治体制になってしまうので、戦後のことも考えると、何とか、さっさと日本を降伏させられないか」というような感覚を持っていたのではないかと思われます。

 それに対して、当時の日本の軍事政権の考え方としては、おそらく「軍人、民間人問わず、日本は人口過剰だから、別に天皇家を初めとする軍国体制さえ温存できるなら、別にいくら死んでもいいか」とか、「本部は地下壕で、ちょっとやそっとの爆撃ぐらいでは、びくともしないので、大変なことは、とにかく前線の兵士や普通の民間人に任せて、自分達としては、今までと同じような仕事と生活を続けるか」とか、「もし敗戦になったら、普通の民間人はともかくとして、天皇家を初めとする軍人の指導者はみんな、とんでもない責任を取らされることになるはずだろうから、それだけは絶対に避けたい」というような感覚を持っていたのではないかということなのです。

 そこで、さらに連合国側や日本の側の兵士や、普通の一般市民の考えは、どんなものだったのか、ということについて考えてみると、おそらく、アメリカ軍の兵士としては、「突然、侵略してきた悪魔の日本軍とずっと戦ってきたが、意外と日本軍は手強い敵だったし、その上、カミカゼとか、とんでもないことをしてくるので、できれば、サッサと戦争は終わらせて、何とか無事に自分の国に帰りたいものだな」とか、「戦争が始まった頃は、敵も強くて、どっちが勝つか、全然分からなかったけれども、あれから何年か経って、やっと連合国側がかなり優勢な立場に立てるようになったが、日本の連中は、いったい、いつまで、あんな無謀な戦争を続ける気なのかな」とか、それから一般市民の立場としては、「早く戦争が終わって、主人や息子が無事に帰ってくればいいのに」とか、「イタリアもドイツも降伏したのに、日本は、いつまで戦争を続ける気なのかしら・・・」というような感覚だったと思われます。

 それに対して、日本軍の兵士の側は、「自分達は、ずっと中国で戦争していたので、戦争にはそれなりの自信があったが、軍の上の奴が言うことは、いっけん最もらしいけど、最近は、連合国の方が武器もすごいし、人数もすごいし、こんな戦争、本当に勝てるのかな」とか、「大本営発表では、いつも威勢のいい話しか流れてこないけど、戦場では、どこもかしこも血まみれで全く地獄絵図だな」とか、「武器や弾薬にも食料にも事欠くような状態で、上の奴らは、いったい、いつまで俺たちに戦わせるつもりなのかな」とか、それから一般の人々の立場としては、「天皇陛下のため、お国のためとは言え、こんな大変な状況、いつまで続くのかしら・・・」とか、「まあ、大本営発表の話と違って、戦場は戦死者や負傷者が多くて、かなり大変みたいだし、あちこちで大都市の爆撃もあるし、戦時体制で食料や生活必需品にも事欠くし、こんな戦争、本当に勝てるのかしら・・・」などというような感覚を持っていたのではないかと思われます。

 そうすると、こうした状況では、いったいどのようなことが言えるのかというと、これは歴史の結果論としか全く言いようがないのですが、簡単に結論を言うと、この場合、どう考えてみても、アメリカやイギリスの指導者を初めとする連合国側の指導者の考えていることの方が、客観的に見ると、より正しいし、その上、その方が敵国になっている大多数の日本人の利益や安全の面から見ても、より正しいのであるが、ただ当時の日本の上層部の利益や考えだけは、連合国側の考えとは正反対だったのではないか、ということなのです。

 そうすると、この結論は単純で、もし戦争の後半の段階において、当時の日本人に本当の民主主義や自由の概念があったのであれば、いつまでも自分達に不遇や危険を強要するような当時の大日本帝国政府、つまり、天皇家を中心とする軍事政権に対して、連合国側と手を結んで対決し、戦争継続を断念させれば良かったし、もしできることならば、そうした天皇家、及び、当時の軍事政権を完全に転覆して、普通の日本人の中から自分達の首長(「大統領」とも言いますが)を選ぶ共和制の国にできれば、なお良かったということになるのではないか、ということです。

※現在の日本人からすると少し不思議な話になるのですが、1943年の時点の当時のイタリア王国では、連合国との戦争がかなり不利になったことから、当時の国王や軍部や議員の人々の手で、当時、首相だったムッソリーニを失脚させて、枢軸国から連合国に鞍替えしています(ただし、その後、ムッソリーニはナチス・ドイツに政治利用されて、イタリアの北部で敗戦に至るまで、再びドイツの傀儡政権を担わされていますが・・・)。さらにその後、1946年には、国民投票で国王制が廃止されて、共和制に移行し、現在のような「イタリア共和国」に政治体制が大きく変わっています。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年8月8日 9:04 PM, 政治 / 歴史 / 軍事



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