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アセンションの進行に伴い、宗教的「苦行」の時代から、霊的、この世的「楽行」の時代へ、大きく変化してゆきつつある Part 1

 現在の地球には、「自分の肉体に苦痛を課すことで、何らかの悟りが開けるのではないか」、とか、「自分の肉体に苦痛や我慢を課すことで、自分の霊的な罪が軽くなるのではないか」、とか、「苦痛や我慢を伴う修行によって、ものすごい超能力が得られるのではないか」、というような、「苦行主義」のような考え方があるのですが、これに関しては、次のようなことが言えます。

 まず最初に結論を述べると、これは、霊界においても、その人の生前の宗教や経験によって、一人一人、かなり考え方が異なるような話になるので、そう簡単には、これが、絶対に正しいとは、なかなか言えないような、非常に難しい話になってくるのですが、こうした苦行主義に関しては、3割ぐらいは、確かに良い、と言えるようなところもあるが、残りの7割ぐらいは、かなり問題がある、というような見方をされることが多い、ということが言えます。

 

1、霊的宇宙的に見た場合、確かに、「苦行」に類するような修行やトレーニングは、マイナスのカルマの軽減に、多少、役立ったり、霊的、この世的な成功や幸福の実現のための基礎になったり、より高次な世界における、霊的なマスターや、その直弟子になるための修行やトレーニングになるようなところがあったり、また、創造主(神仏)の心や、他の人々の気持ちを知るために、ある程度、良いと言えるようなところもある

 それでは、今述べたような「苦行」は、いったい、どのような点で良いと言えるようなところがあるのか、というと、次のような、四つのことが言えます。

 

①他の人々や生き物達を傷つけたり、苦しめたりしたマイナスのカルマを償う手段として、確かに、苦行は、多少、有効なところもある

 まず第一には、確かに、どんな人であっても、この地上の世界に生まれて、一点の罪も間違いもなく、過ごせた人なんて、ほぼ全くいない、と言えるようなところがあるので、そうした点で見た場合には、現在の人生や過去の人生において、他の人々や生き物達を、何らかの機会に傷つけたり、苦しめたりしたマイナスのカルマを償う手段としては、何らかの手段で、自分の肉体を傷つけたり、苦しめたりすることで、多少、その人自身のマイナスのカルマを減らすような効果があるのは、まぎれもない事実である、ということです。

 

②人間としての成功や幸福の実現のためには、確かに、一種の「苦行」に類するような、多少、厳しい努力や精進によって、一定の実力や自信をつけたり、強い精神力や根性を鍛えることは、ある程度、必要なところがある

 第二には、これは、多くの人々が、ほぼ無意識のうちに、よく理解しているような内容になるのではないか、と思われるのですが、確かに、この地上の世界においても、また、霊界においても、「ここで、しっかり強い意志を持って、耐え忍べないとダメだ」、とか、「これくらいの苦痛や欲望に負けて、簡単に志を曲げるなんて、全然、ダメだ」、とか、「ここで、そう簡単に逃げずに、正々堂々と、自分の運命を立ち向かわないと、人並みの成功や幸福なんて、全然、おぼつかない」、というような状況があるので、そうした点で見た場合には、これは、別に苦行のような形でなくても、全然、構わないのですが、要するに、ちょっと厳しいくらいの努力や精進を続けることによって、それなりのしっかりとした実力をつけて、自分に自信をつけたり、 強い精神力や根性を鍛えるような一種の修行、というか、トレーニングのようなものは、人間として、成功し、幸福な人生を歩んでゆくためには、どうしても、ある程度、必要なところがある、ということです。

 

③長い長い光と闇の時代の間に、霊的なマスターや、その直弟子になるためには、闇の勢力と、真っ正面から対峙するために、さまざまな意味で、霊的にも、この世的にも、そこそこ一流を目指すくらいの厳しい修行やトレーニングが必要なところがあった

 第三には、これは、かなり厳しい話になるのですが、実は、普通に仕事や生活をする分には、それほど問題ないのですが、そうではなく、五次元というよりも、もっとそれ以上の高次元宇宙における、「霊的なマスター」と言われるような人々の直(じき)弟子を目指したり、彼らの指導を受ける場合には、霊的に見ても、この世的に見ても、結構、厳しい霊的な修行、というか、この世的なトレーニングをしないと、なかなか、ついてゆけないようなところがあるのです。

 その理由は、これは、本当に残念な話なのですが、霊界、あるいは、この地上の世界において、「闇の勢力」、とか、「悪魔」、とか、「偽キリスト」と呼ばれているような連中と、真っ正面から対峙(たいじ)して、彼らの野望を打ち砕き、霊界や、この地上の世界に、素晴らしい平和や幸福をもたらそうとしてゆくと、なにぶん、そうした、「敵」に当たる存在達というのが、そんじょそこらの悪人や犯罪者のような連中とは、全く、やり口の程度もスケールも異なるような、いわゆる、極悪非道のプロの犯罪集団と渡り合わなくてはならなくなってくるために、はっきり言うと、いろいろな意味で、知識や技能としても一流、霊的な直観や指導力としても一流、それから、軍事的、あるいは、警察的な能力や、経営能力の面でも、そこそこ一流のものが求められる、などというように、かなり非凡な実力が求められる世界になってきてしまうからなのです。

 そうすると、これは、非常に残念な話なのですが、そうすると、そうした、かなり卓越した霊的なマスターのような存在になると、いつもいつも安全で、有利な状況ばかりとは限らずに、結構、厳しい危険な状況でのミッション、とか、また、場合によっては、とんでもない極悪非道の闇の勢力の連中につかまってしまい、散々、身も凍るような拷問を受けた後に、非業の死を遂げることになる、というようなことも、時にはないとも限らないので、結局、そうした霊的なマスターや、その直弟子を目指すような修行やトレーニングの中には、どうしても、かなり過酷な霊的な修行や、また、場合によっては、どう見ても、一種の苦行としか言いようのないようなものも、かなり含まれるような状況になってしまいがちであった、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年7月20日 9:02 PM, おすすめ記事 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳



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