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「陰陽説」について Part 24

いっけん、一部の頭の良い人達だけが、内輪で選べば良さそうな、学者や研究者の世界であるのだが、たとえ、学者や研究者であっても、人間的な欲望や弱みは、必ずあるものなので、民主主義国の一般市民としては、そうした学者や研究者の世界にも、それ相応の調査とチェックの目を光らせていないと、いつの間にか、学問の世界が、いっけん、目立たないが、国民全員に対して、非常に強力な間接的支配権が及ぼすような、とんでもない利権や名誉や腐敗の巣窟になることもあるので、注意が必要である

 このように、学者や研究者は、「学校の先生よりも、もっと頭のいい、すごい偉い人!」、などと、多くの市民が、油断していると、いつの間にか、その国の学会が、いったい、どこの誰とも、全く、よく分からないような、得たいの知れない人々の巣窟になっていたり、あるいは、よく調べてみれば、別に、その辺の普通のサラリーマンと、大して変わりないような知性や能力の持ち主が、何らかのコネを使って、大学者として、のさばり、本当に優秀な学者や研究者の活動を邪魔するようなことをしていたり、さらには、言ってみれば、一種の新興宗教のように、まるで自分を、神様のように持ち上げさせては、学生や生徒を、一種の奴隷や召使いのようにこき使おうとするような人間が出てくることもあるので、これには、非常に注意が必要なのではないか、ということなのです。

 ですから、普通の人々から見ると、まるで、雲の上にでもいるかのように感じられるような、昔からいる偉い人達、偉い学者や研究者が、内輪で選んで、勝手にやっているのが、一番、良さそうに見えるような学者や研究者の世界に関しても(多くの人々が、そう思うのは、子供の頃に、十数年もの間、一方的に成績をつけられたり、試験で落とされたりするような体験を、散々、させられたからです)、やはり、そうした一元論や二元論的な考え方は、かなり間違っていて、そうではなく、できるだけ、多くの一般市民が、少々、分からなくても構わないので、そうした学問や研究の世界の実態にも深く入り込んで、多くの市民のニーズや普通の感覚に基づいて、その良し悪しを判断してゆくような、「多元論」的な考え方を持つことが、とても大切になるのではないか、ということが言えるでしょう。

※たいてい、どこの国でも、多くの人々は、学校教育によって、民主主義について、学ぶものなのですが、それと同時に、たいてい、どこの国でも、気をつけておかないと、学校教育によって、組織的な洗脳が行われて、独裁主義や軍国主義やファシズムなどに走り、民主主義が終わるものなのです。ですから、こうした学校教育において、ともすれば、多くの人々の間で、いつの間にか、ものすごい間接的な権威や権力を持ちがちの、学者や研究者の立場に関しても、よく考えてみれば、「彼らも、普通の一般庶民と同じ、普通の人間に過ぎないのだ」、ということは、民主主義国の市民としては、よくよく知っておく必要があるのではないか、ということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年6月16日 9:11 PM, 中国思想 / 宗教、道徳 / 政治 / 教育 / 知恵、正しさ / 社会、文化



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