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より良い意味での物質的幸福を得る方法について Part 1

 これは前に書きかけだった文章の続きになります。

 

ここ百年ぐらいの間に、あまりに急激に豊かな物質生活を体験できるようになった多くの人々は、まだ心の奥底に非常に深い欠乏や恐怖の意識を抱えたままになっているので、それが尾を引いて、多くの人々の物質生活自体を非常に貧しく不幸にさせてしまっているようなところがある

 これは、ちょっと最初は分かりづらい内容になるかもしれないのですが、現代に生きる多くの人々は、「ほんの一昔前の時代に大変な大戦争や地域紛争を経験して、再び無一文から出直すような体験をした」とか、「ほんの一昔前まで物質的には、とてつもなく貧しい生活をしていた」というような人々がほとんどであるために、まだまだ多くの人々が、「身近にいろいろな物が置いてないと、心配で仕方がない」とか、「とにかく食べ物や衣服や財産は、たくさん持っていないと気が済まない」とか、「今持っている家や財産は、またいつか突然なくなって消えてしまうのではないかと、何となく心配になる」などというような感覚を持っていることが非常に多いのです。

 それでは、さらにそれ以前の多くの人々の感覚というのは、いったいどんなものだったのかということを考えてみると、「一部の特権階級の人々を除いて、普通の庶民には、財産なんてないのが当たり前」とか、「いつも食べ物が豊かにある状態が幸せというか、ちょっと異常というか、ちょっと、ありがたすぎるくらいの状況で、普通は食べ物なんて、戦乱や飢饉などで突然なくなったり、取られたりするのが当たり前」とか、「衣服や生活必需品は苦労して、手に入れるものなので、一回手に入れたら、汚くなっても、壊れてボロボロになっても、ずっと使い続けるのが当たり前」というような時代を何百年、何千年とずっと過ごし続けてきたので、はっきり言うと、現在の地球人類の潜在意識の奥には、そうした過去、何百年、何千年の人間としての生活感覚が、まだまだ深く刷り込まれたままの状態になっているのです。

 それでは、そうした奥深い潜在意識を持った人々は、いったいどんな行動をとろうとするのかというと、自分自身や周りの人々の自然な幸福感の感覚や、実際に使うかどうか、というような観点よりも、どちらかと言うと、常に自分の身の回りに、実際にいろいろな物があるかどうかということや、あるいは良いものがあると、片っ端から買うことや持っていること自体の方に、ものすごい満足感や悦びを見いだすようになってゆきやすいのです。

 そうすると、こうした状況では、いったいどうした状況になりがちなのかというと、「気がつくと買っただけで、その後、全然使いもしないようなものが部屋中に溢れ返っている」とか、「とにかく物を買ったことや持っていること自体に、ものすごく満足感を覚えてしまうので、実際には持っているだけで、どこかに深くしまい込んで全然、一度も使いもしないまま、何年、何十年と経ってしまった」とか、「よく考えてみると、日頃、自分が最も幸福感を感じていたり、最もよく愛用しているものは、大して値の張らない格安品ばかりであるのに、その横には全然使わないもしない高価な品が、すっかりホコリが積もった状態で置いてある」というような状況になっている人が、実際、世の中には、ものすごくたくさんいるのではないかということなのです。

 つまり現代の多くの人々は、政治経済や科学技術の発達によって、人類の歴史においては、過去、数百年、数千年の間、全く体験したこともないようなものすごい物質的豊かさを体験するようになってきているにも関わらず、肝心要のそうした多くの人々の「物」に対する感覚自体は、まだそれほど大きな変化をしていない状況であるので、現代の社会では、多くの人々は、「いったいどんな物が、どんな状態で、自分の身の回りにある状況が最も幸福で、最も実用的なのか」ということを、まだあまり、しっかりとつかみきれていないような、言ってみれば、非常に豊かな物質社会になりたての過渡期の状況に置かれているということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年3月12日 9:06 PM, おすすめ記事 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 社会、文化



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