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イエスについて Part 40

④イエス・キリストや聖書の話のルーツには、この宇宙の創造主の話を初めとして、地球や銀河の他の星々における、さまざまな偉大な霊的なマスターや、銀河の英雄や、ある種の救世主的な仕事をした人々の話が、あちこちに散りばめられているようなところがあるので、それが、多くの人々が、非常に熱烈に強く信じたり、受け入れたりする、そもそもの理由になっている

 第四には、これも、ちょっと、かなりややこしい話なのですが、実は、処女降誕のイメージの源というものを、霊的に、どこまでも遡ってゆくと、この地球ではない、全く別の銀河系の、全く別の惑星で、この宇宙の創造主が、この世に生を受けた、という話にまで、遡ることができるのですが、その話の大まかな要点は、こんな感じになります。

 遠い遠い昔、この銀河ではない、遥か彼方の遠い銀河において(スターウォーズ風の始まり・・・)、この宇宙の創造主に当たる存在が、どうしても、その時点において、人間の姿形をもって、肉体の姿で現れて、仕事をする必要が生じたために、急遽、ある銀河系の、ある惑星において、人間の姿で生まれることになったのですが、ところが、まだ、その時代には、「人類」という種族はいなくて、今日風に言うと、一種の猿人のような、かなり高貴な精神性を持つ種族がいたので、そこに、現在、伝えられている聖書の話と非常によく似た形で、まずは、聖霊を使わして、予言を与えてから、その後、突然、一種の突然変異のような形で、そうした猿人の中に、こつ然と、人間の姿の赤子で生まれる、というようなことが起きたことがあります。

 それが、今日、宇宙において、知られている、最も古い人間の祖先であるのですが、要は、現在、伝えられているようなキリスト教の話を、なぜ、多くの人々が、わりと、かなり真実味のあるものとして、受け入れてしまうのかというと、それは、その元々のモデルとなった話が、そうした、この宇宙の創造主に関する銀河の伝説を初めとして、結構、あちこちの宇宙で知られているような、多くの人々の尊敬を集めている、非常に有名な、霊的なマスターや、銀河の英雄や、ある種の救世主的な人生を送った人々の話が、あちこちに散りばめられたような要素が、かなり濃厚に含まれているからなのです。

 ですから、イエス自身に関しては、もともとは、「自分としては、それほど、自分は、救世主のような仕事をするつもりはなかったし、また、霊的に見た場合、現在の地球で信じられているような救世主の役割なんて、そんなこと、誰にも出来るはずないではないか」、というような感覚を持っていたのですが、ただ、約5世紀前後に、全く新たな救世主の神話として、書き換えられた、現在、伝えられているようなイエス・キリストの話には、そのような形で、多くの人々が、「確かに、こんな、ものすごい愛の人がいた」、とか、「確かに、あの方は、ものすごい苦しみの中で、多くの人々のために尽くされた人だった」、とか、「確かに、こんな奇蹟が、実際に起きた」、とか、「確かに、あの方は、いったん、大変な苦しみの中で亡くなられて、その後、奇蹟的に復活された方だった」、などと、心の奥から納得してしまうような、ある種の実話が、たくさん含まれた内容になっているので、それで、多くの人々が、あのような形で、「イエス・キリストを信じる」、とか、「イエス・キリストのように生きよう」、などと心の底から考えるようになっていたようなところがあったのです。

 ですから、これは、別に聖書と言わず、その他にも、いろいろな聖典と言わず、現在、多くの人々に受け入れられているような、いろいろな物語や映画のようなものに関しても、ある程度は、ほぼ同じようことが言えるケースがあるような内容になっているのですが、要するに、なぜ、多くの人々が、あのような形で、現在、伝えられているようなイエス・キリストの話を、心の底から信じようとするのか、というと、それは、決して、元々は、すべてがすべて、イエス本人の話ではなかったかもしれないけれども、そうした聖書に述べられているようなイエスの話の元には、イエスという人の魂にまつわる、この地球のみならず、さまざまな銀河の星々における宇宙において、すでに一種の伝説と化したような、実際の話、つまり、実話が、たくさん散りばめられているようなところがあったからなのではないか、というのが、私の考えになります。

 

現在、伝わっている聖書に描かれているような、イエスをメシアとして、信仰する「キリスト教」の成立以前のイエスは、彼自身としては、全く、メシアの自覚を持っていなかったので、当然、それに伴う、処女降誕の話も全くなかった

 このように、イエスの処女降誕の話に関しては、大体、大きく四つぐらいのことが言えるのですが、ここまで述べてきたことからも、よく分かるように、元々のイエス自身の考えとしては、本当は、処女降誕のような、非常に派手な形の出生というのは、極力、避けたい、というような考えであったにも関わらず、彼の死後、数百年後に成立した、元々の彼自身の考えや人生とは、かなり異なる内容のキリスト教の成立によって、それ以前の(現在から見ると、過去の)彼の人生というのは、グラッと、時空間が入れ替えられるように、かなり大きく違ったものとなってしまったので、その結果、最初の出生が、処女降誕のような形になったり、あるいは、かなり不幸な最期を遂げることになったり、さらには、その後の復活、及び、昇天を行わなくてはならないような状況になってしまったようなところがあったのです。

 ですから、これは、現在のキリスト教を深く信じる、多くの方々にとっては、ちょっと、かなり信じがたい話になるのではないか、と思われるのですが、実は、現在、聖書によって、伝えられているようなイエス・キリストを、メシアとして、強く信仰するような形のキリスト教の成立以前には、イエス自身としては、自分が、今日のキリスト教で言われるような、メシアである自覚なんて、全く持っていなかったし、また、そうしたメシアの話に伴う、処女降誕の話も、もともとは、全くなかった、というのが、どうも実態であったようなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年2月11日 9:07 PM, キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 宇宙文明、古代文明



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