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イエスについて Part 35

②生涯独身のイエスと、処女降誕のマリアを信仰の中心に据えると、結婚やセックスに象徴される肉体的快楽や幸福が、原則、全否定されることになってしまうので、結果として、あちこちで、苦行が行われるようになったり、結婚や妊娠出産に関する、かなり、あやふやで、おかしな教義が、たくさん増えることになってゆく

 第二には、これも考えてみれば、全く当たり前の話なのですが、そうした偉大な聖人のイエスと、その母、聖母マリアを、篤く讃えて、信仰するような宗教形態であると、どうしても、その後、多くの人々は、「自分達も、イエス・キリストや聖母マリアを見習って、できるだけ、醜い汚い結婚やセックスは避けると共に、また、できるだけ、そうした結婚やセックスに象徴される、肉体的快楽や幸福も避けて、禁欲的な修行や生活を送ってゆこう」、というような宗教スタイルになりがちなのですが、そうすると、ここで、そうしたキリスト教徒が数多く住んでいる社会では、これは、誰も表立っては、はっきり言わないのですが、だんだん、次のような二つの問題に直面するようになってゆきます。

 一つは、多くの人々が、単に禁欲的な生活を送るのみならず、自分の肉体を痛めつけて、何らかの自己制裁を行おうとするような、いわゆる、「苦行」というものが、だんだん、あちこちで行われるようになってゆくことが多い、ということです。

 その理由は、単純なのですが、キリスト教のように、多くの人々に対して、非常に深い罪の意識を持たせるにも関わらず、その上、結婚やセックスに象徴される、肉体的快楽や幸福まで、徹底的に否定されてしまうと、たいていの人は、もう自分の思いの矛先が、ほとんどなくなってしまって、「それなら、すぐに食欲とか、性欲のことばかり考えてしまう悪い自分を、何らかの手段で罰するしかないのではないか」、とか、「できるだけ、自分の罪を軽くして、清い心のままで生き続けるためには、もう肉体に苦痛でも与えて、『快楽よりも、苦痛の方が好き』、とか、『幸福であるよりも、我慢の方が好き』、というような、自己調教でもするしかないか」、というような方向に、どうしても行きがちであった、ということです。

 もう一つは、これも、ある意味で、当然のことなのですが、そのような形で、結婚やセックスを、かなり強烈に否定するような宗教環境の下で、さらに、それに追い打ちをかけるように、ずっと長いこと、戦乱や飢饉が続いている、とか、とんでもない過酷な重税や奴隷的労働で、すっかり希望を失っている、というような状況になってしまうと、これは、表向きは、いろいろな理由や言い訳が出てくることが多いのですが、その国の為政者の意思に反して、多くの人々が、結婚自体を避けたり、あるいは、結婚しても、実質、セックスレスの家庭になって、ほとんど子供を産まない、とか、あるいは、産んでも、あまり熱心に子育てしない、というような状況になって、だんだん、その国において、かなり深刻な少子化や過疎化が進むようになってゆくのです。

 そうすると、そのうち、その国では、だんだん、かなり深刻な生産力の低下や、国力の低下に見舞われることになってゆくので、権力者の側としては、勢い、どこかの時点で、教会に圧力をかけて、「宗教的に、この事態を、何とか出来ないのか」、というような話になることが多いのですが、そうすると、これは、信者の側としては、本当にびっくりするような話になるのですが、たいてい、こうした状況では、教会としては、次のような三つの手段を講じるしかなくなってくる、ということです。

 まず第一には、かなり最もらしそうな、いろいろな宗教的な理由をつけては、多くの人々の結婚を、陰に日向(ひなた)に、大々的に奨励するようになる、ということです。

 第二には、その次には、セックスの結果、子供が産まれるのではなく、「神が、子供を創られた」、とか、「子供を産み、育てることは、神の意思である」、とか、「子供が生まれない夫婦は、何か罪を犯しているからだ」、というような、それらしい最もらしい理由をつけては、夫婦のセックスや、子供の妊娠や出産を、教会の側で、盛んに推奨するようになる、ということです。

 第三には、この後が、かなりややこしくなってくるのですが、そのようにして、結婚やセックスや妊娠出産を、教会の側として、大きく推進してゆくと、今度は、どこかの時点で、その国や地域の人口が増えすぎて、いろいろな騒動や混乱が巻き起こってくることが多いのですが、そうすると、今度は、教会の側としては、それまでとは、まるで打って変わったかのような極端な態度に出て、「人口が増えすぎて、食べれなくなった人は、仕方がないから、いろいろな理由をつけて、ちょっと、外国に戦争にでも行ってもらうか、何かの奴隷的な労働にでもついてもらおうか」、とか、「やっぱり、時々、結婚やセックスは、悪で罪ということにして、この辺りで、少々、結婚や妊娠出産の奨励は、取り消そうか」、とか、「一生、公式には、結婚もセックスもできないような、教会や修道院の仕事を増やして、もう少し、若い男女が、そう簡単には、子供が産めないような社会にした方がよいか」、などというように、表向きは、崇高な宗教的な理想を掲げているにも関わらず、その裏では、かなり現実的な、というか、ちょっと腹黒いくらいの理由で、いろいろな人口抑制策を講じるような状況になることが、非常に多かった、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年2月7日 9:03 PM, キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 結婚、家庭



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