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イエスについて Part 27

パウロ的な信仰観の二つの問題について

 それでは、こうした、パウロ的な信仰観に基づく問題というのは、いったい、なぜ、発生するのか、というと、これは、よく考えないと分かりづらいのですが、大まかに要約すると、大体、以下のような二つの理由になります。

 

1、いくら、当時のイエスが、ずば抜けた霊的なマスターであったとしても、単なる、お話の中だけの話なら、街中の人々に、片っ端から声をかけて、奇蹟を起こして、彼の信者にできたのかもしれないが、現実には、古今東西、そんな訳の分からない、奇人変人的な伝道をして、成功した人物なんて聞いたことがないので、本当は、かなり怪しい作り話だったのではないのか

 まず第一には、これは、ある意味で、当たり前と言えば、全く当たり前の話になってくるのですが、第三者的な立場から見て、こうしたパウロ的な信仰観の問題というのは、現代人であれば、まずは、よく調べて、よく考えて、その上で、よくよくメリットとデメリットを比較した上で決めるようなことを、そうした普通の行動のプロセスというものを、一切(いっさい)、無視して、とにかく、「イエス・キリストを信じることが、最も大切なのです」、とか、「信じた人は、必ず、救われるのだ」、とか、「信じるだけで、すべてうまく行くのだ」、というような話に、あまりにも、一気にぶっ飛びすぎていることなのではないか、ということなのです。

 つまり、これは、現代人にとっては、あまりに当たり前のことであるのですが、喩えて言うと、たとえ、イエスのような偉大な霊的なマスターであったとしても、単純に考えて、以下のような四つのケースの場合は、原則、信仰なんて、絶対に言わなかったのではないか、ということなのです。

 

①ケース1、イエスの前に、とんでもない狂人の殺人魔が現れてきた場合のイエスの対応について

 まず第一には、例えば、イエスという人の目の前に、とんでもない狂人の殺人魔のような人物が現れた場合、彼は、いったい、どうするのか、というと、聖書的に言うと、イエスが、パッと、何か言葉をかけたり、何か動作をするだけで、そうした狂人の殺人魔に、何か偉大な奇蹟が起きると、その後、その狂人の殺人魔は、大粒の涙を流しながら、 パッと回心して、イエスの弟子になる、というようなシナリオになるのではないか、と思われます。

 おそらく、イエスのいた当時も、そうした人間はいたと思われるのですが、ただ、そんな話は、全然、残っていないし、また、もし、イエスに、そんな能力があるなら、そもそも、当時の警察のような人々に捕まるはずがないので、これは、推測になるのですが、おそらく、当時のイエスには、そうした能力はなかったのではないか、ということになります。

 

②ケース2、イエスの前に、ユダヤ教徒だけれど、非常に穏やかで、善良な、心優しい人が現れた場合のイエスの対応について

 第二には、これも喩えになるのですが、例えば、イエスの前に、ユダヤ教徒だけど、非常に穏やかで、善良な、心優しい人が現れた場合、彼は、いったい、何をするのか、ということなのですが、おそらく、この場合、聖書的には、イエスは、「私の後についてきなさい」、とか、「あなたは、神の祝福を得るでしょう」、とか、「この○○をすれば、あなたは、素晴らしい果実を得るでしょう」、などと言ったと思われます。

 ただ、これは、推測なのですが、実際には、おそらく、イエスと呼ばれる人は、「この人は、今のままの宗教的な姿勢で十分なので、私が、とやかく言う必要はないだろう」、とか、「そんな街中の人に、片っ端から話しかけても、きりがないし、全く意味もないので、自分の使命としては、現在のユダヤ教では、十分に満足していない、もっと精神的な教えを求めている人々にだけ、教えてあげれば、十分なのではないか」、などというように考えて、行動していたのではないか、ということなのです。

 

③ケース3、イエスの前に、当時の警察や軍隊の人々がやってきた場合のイエスの対応について

 第三には、例えば、イエスの前に、現代で言えば、警察や軍隊のような仕事をしている人々がいた場合、彼は、いったい、どうしたのか、ということなのですが、聖書的には、イエスは、彼らに対して、「神の国が来るので、悔い改めなさい」、とか、「あなた方の敵を愛しなさい」、とか、「地の兵とならず、神の兵となりなさい」、などというような教えを説いては、何らかの奇蹟を起こした、というような話になったのではないか、と思われます。

 ただ、これも推測になるのですが、私は、現代の大多数の宗教家の人々の姿勢とほとんど同じように、当時のイエスという人物も、普通に街を歩いていて、彼らに会ったとしても、当時の常識的な挨拶程度の礼儀ぐらいはしたのでしょうが、せいぜい、彼らから乞われるならば、何らかの教えのようなことを述べたり、病人の傷を癒したりするぐらいで、彼らを見るたびに、片っ端から喧嘩を売って、挑発するような真似は、絶対にしなかったのではないか、と思うのです(そんなことしてたら、約3年の伝道どころか、数ヶ月で捕まってしまったのではないでしょうか?)。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年1月29日 5:36 PM, おすすめ記事 / キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観



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