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イエスについて Part 26

 この前に書きかけのイエスについての話の続きになります。

 

3、パウロ的な信仰観を持つと、確かに、その個人や集団としては、とても穏やかで、安らいだ幸福感を得られるのだが、それぞれの人の自由性や自然な幸福感を、あまりにも一方的に制限しすぎている点において、かなり問題があるのではないか

 第三には、これは、キリスト教に詳しい人も、なぜか、あまり深く追求しないような問題になるのですが、実は、パウロ的な信仰観を持つと、いつの間にか、他の人々の自由な意見や考え方を軽視するようになって、その宗教独自の一定範囲内の信念や考え方の中に深く入り込んだまま、思考が硬直化してゆき、だんだん、自分達の信じる宗教信条や考え方以外の、他の人々の宗教信条や考え方を、ほぼ反射的に否定し、排除するような考え方になってゆくことが多い、ということなのです。

 これは、別にキリスト教でなくても、こうしたパウロ的な信仰観を持つ、他の宗教宗派においても、あちこちで、普遍的に、よく見られることなので、現在の地球の社会では、多くの人々が、あまりにも、こうした信仰形態に慣れすぎているので、はっきり言うと、何とも思わなくなってきているようなところもあるのですが、ところが、よく考えてみると、こうしたパウロ的な信仰形態に関しては、霊的に見た場合、かなり大きな問題がある、ということなのです。

 

パウロ的な信仰観を持つと、それによって、その人個人や、その集団の中では、とても強い幸福感を得られるようになるのだが、それ以外の人々や集団に対しては、なぜか、常に一定の距離をとったり、一方的に否定したり、排除しようとするような傾向になってしまいがちである

 大きな要点としては、大体、三つあげられるのですが、まず第一には、これは、キリスト教を熱心にやっている人には、ほぼ明らかな共通点になるような考え方なのではないか、と思われるのですが、とにもかくにも、そうしたキリスト教的な信仰を持つと、確かに、そうした信仰によって、自分自身の心の中に確かな拠(よ)り所が生まれて、非常に深い安心感や安らぎのような感覚が得られるのは事実なのですが、ところが、こうした信仰を持っている場合、不思議なことに、自分の信じている同じ信仰を共有している人とは、ほぼ同じような連帯感やシンパシーを感じることができるのですが、そうした同じ信仰を共有していない人を見ると、なぜか、自分と、その人との間に、目に見えない壁のようなものが生じて、最初から、ある種の拒絶感を持って、見てしまう、というか、常に一定の距離感を持ったまま、その人と対応しようとしてしまうようなところがあるのです。

 大部分のキリスト教圏では、近現代にかけて、民主化や自由化が、大きく進んだので、特に最近では、一昔前の時代と違って、たとえ、キリスト教の人であっても、他の宗教の人を見た時に、それほど露骨に、こうした態度をとる人は、かなり激減しているようなのですが、ただ、私が見る限り、たいていの熱心なキリスト教徒の人は、やはり、自分と同じ信仰を持っている人と、そうでない人との間に、目には見えないけれども、かなりガッチリとした壁のようなものを持っているように感じられるのです(もちろん、他の宗教宗派も似たようなところがありますが・・・)。

 ですから、こうしたキリスト教的な信仰、というか、パウロ的な信仰観というのは、そうした信仰を持つ人々に、非常に素晴らしい安心感や安らぎを与えてくれるのですが、それと同時に、そうした信仰を持たない人々との間に、どうも目に見えない壁のようなものを作る働きがある、というように言えるのではないか、ということです。

 第二には、これは、多くの人々は、あまり気付かずに過ごしていることが多いのですが、実は、パウロ的な信仰観を強く持つと、たとえ、そうした宗教以外の所で、どんなに素晴らしい話を聴いたり、どんなに素晴らしい活動をしている人々を見たとしても、なぜか、常に一定のフィルターのようなものがかかって、その人が、宗教的に受け入れられるものに関しては、それを素晴らしいものとして、素直に認めて、受け入れるけれども、そうでないものに関しては、たとえ、いっけん、一応、認めるような態度をとったとしても、精神的には、原則、絶対に受け入れない、とか、認めない、というような態度をとる人が、非常に多い、ということです。

 それから、第三には、これは、結構、あちこちで、いろいろな問題を引き起こしていることであるのですが、いったん、パウロ的な信仰観を受け入れた人々というのは、その後、なぜか、まるで、パウロという人の直系の子孫でもあるかのように、がっちりとした、まるで岩盤のような強い信念を持とうとする傾向が強いようなので、そうした信仰を持っている、その本人自身としては、非常に幸せに感じて、満足感も高いことが多いのですが、ただ、自分と、ちょっと意見の違う他の人々の意見や考え方を聞くと、あまり、よく聞きもしないうちから、すぐに否定しようとしてきたり、あるいは、自分の意見を、すぐに一方的に押し付けようとするような、言ってみれば、少し自己中心的、というか、少し独りよがりの考え方や行動をすることが多くなるので、その結果、結局、その人を中心に、あちこちで、いろいろな衝突や問題が巻き起こることが、非常に多くなってゆく傾向があるようなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年1月29日 5:33 PM, キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観



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