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イエスについて Part 25

イエスの死後、彼の承諾もなければ、彼自身の考えも、ほとんど無視された形で成立した、キリスト教の本質は、いかにして、最小の努力で、精神的安楽や救いを得るか、ということを目的にした、「パウロイズム」を最大限に押し出した宗教形態であったと思われるが、その霊的な実態は、イエスという傑出した霊的なマスターを、霊的に封印して、多くの人々を、四次元の幻影世界の中に、永遠に閉じ込めるための「精神的束縛教」以外の何物でもないと言える

 このような四つの話からも、ほぼ明らかなように、実は、キリスト教において、代表的な聖人とされている「パウロ」という人物の、元々の性格や、彼の病気の治癒の経過や、さらには、彼独特の信仰のあり方というものを、よくよく冷静に、霊的に調べ直してゆくと、本当は、パウロという人物は、イエス・キリストを信じて、彼の信仰を全世界に広めたのではなくて、そうではなく、霊的な実態としては、イエスの名前や功績を利用して、彼自身が、できるだけ最小の努力で、最も簡単に、安楽に救われる実感が持てるような、かなり、いびつな精神状態の、新たな「キリスト教信仰」と称する内容を、イエス本人の承諾もなければ、イエス本人の事情も全く考慮しない状況において、かなり無責任な態度で広げようとした、ということだったのではないか、ということなのです。

 それゆえ、これは、キリスト教の人々が行く、かなり高い天界のような所では、非常に有名な話であるのですが、あの地球の「イエス」という偉大な霊的なマスターを封印するための「キリスト教」という宗教がなくならない限り、地球の人々が、あの巨大な幻影世界(地球周辺の時空間のこと)から脱出するのは、なかなか、難しいのではないか、というのが、そうした、そこそこ高い「高次元世界」と呼ばれる所では、ほぼ当たり前のように話されている、ということなのです。

 それもこれも、元をたどると、偉大な霊的なマスターであった、「イエス」と呼ばれる人物を、単にめちゃくちゃな裁判で処刑するのみならず、より完全な形での霊的な封印のために、彼の元々の意思や功績を、ほぼ完全に全否定するような形で、一種の偶像崇拝(イエス本人の考えではない、多くの人々が期待する「イエス・キリスト」と呼ばれる偶像を信仰しているため)、あるいは、一種の幻影宗教である「キリスト教」というものが、彼の死後、全地球で、かなり大きく広まったことに、そのそもそもの原因があったようなところがあるのです。

 そして、そのそもそもの原因というものを考えてゆくと、よく考えてみると、イエス本人の了承を得たわけでもなく、また、彼自身の事情も、一切、考慮しない形で、彼の死後、イエスの名前と功績を、そっくり頂くような形で、全く別の新興宗教を興した、「パウロ」の存在というものに突き当たることになる、ということなのですが、私は、こうした観点から考えてみると、おそらく、この「パウロ」という人の話は、例のユダの話と同様、後世において、後から、でっち上げた、全くの嘘の虚像か、もしくは、イエスという偉大な霊的なマスターを、霊的に完全に封印するために、イエスの死後、かなり強引に、彼の教えをねじ曲げ、彼の信仰、あるいは、彼の魂を盗んだ、大宗教的犯罪者の話だったのではないか、というように、率直に感じる次第です。

※これまでの光と闇の時代には、闇の勢力の連中は、とにかく、偉大な光の存在を見つけると、片っ端から、いろいろな手段で、霊的に封印しては、その光を奪って、あかたも、自分自身が、その光の存在そのものであるかのように振る舞うことが、とても多かった、ということです。そして、キリスト教も、「イエス」という傑出した霊的なマスターを封印するための代表的な霊的な封印教であったのではないか、ということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年1月16日 8:12 AM, キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観



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