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イエスについて Part 8

キリスト教の人々の死後の状況について

 それでは、そうした信仰を信じたキリスト教徒は、死後、いったい、どのような状況に置かれているのか、というと、大体、以下のような三つのケースがあります。

 

1、生前、信仰に熱心だったキリスト教徒が、死後、地獄のような世界に赴(おもむ)くことになった場合、十中八九は、本物の地獄ではなくて、その人自身が、キリスト教的な信念に基づいて、その人の周りに投影した、単なる幻影、もしくは、一種の仮想現実のような世界であることが多い

 まず第一には、生前、一生懸命、キリスト教を信仰していたにも関わらず、死後、あまり明るいとは言えないような、真っ暗な地獄のような場所に赴(おもむ)くことになってしまったケースになるのですが、こうしたケースの場合、そうした真っ暗な世界にいる、生前、キリスト教徒だった人達は、たいてい、こんな状況になっていることが、非常に多いです。

 「自分は、ものすごく罪深い人間だったので、こうした永遠の地獄の責め苦を受けるのは、当然のことなのだ」、とか、「私は、信仰に破れてしまったために、死後の世界では、一人孤独に、厳しい地獄の責め裁きに耐えなくてはならない」、とか、「自分は、生前、イエス様を、一生懸命、信仰したが、自分の信仰が、足りなかったばかりに、こんな恐ろしい世界に落ちることになってしまった」、というような考えで、心の中が、いっぱいになって、キリスト教独特の、明るい天国とは言えないような、真っ暗な、恐ろしいサタン(キリスト教の地獄には、そんな存在が、実際にいます)が、うろちょろしているような、地獄の責め苦の世界に行ってしまうことが、これまでの時代には、非常に多かったのです。

 

生前、キリスト教徒だった人が、死後、数多く、赴くことになった、「地獄」のような世界の大部分は、何のことはない、キリスト教的な強い信念の力によって、死後の世界において、その人の周りに現実化した、一種の幻影、もしくは、仮想現実のような世界に過ぎないことが多かった

 それでは、そうした、生前、キリスト教徒だった人が、死後、赴くことになった地獄のような世界というのは、本当の地獄であったのか、というと、残念ながら、というか、幸いなことに、それらは、本当の地獄ではなくて、次のような二つの理由によって、その人自身の想念、というか、強い信念が、死後の世界において、勝手に作り出した、一種の幻影のような世界、というか、一種の仮想現実のような世界であった、ということです。

 

①死後の世界というのは、その人の信念が、ほぼ100パーセント現実になってしまうような、一種の完全自己実現世界になっているために、キリスト教信者の生前の心の世界が、そのまま現実化して、その人の周りに、キリスト教的な、一種の地獄のような世界を作り出してしまうケースがある

 まず一つめの理由は、これは、このブログでも、他の書物でも、よく述べられている内容になるのですが、この物質世界と違って、死後の世界というのは、その人の心のあり方、というか、精神のあり方が、ほぼ100パーセント、身の回りの現実になってゆくような、言ってみれば、一種の完全自己実現世界になっているために、そうしたキリスト教の信者の人は、生前、自分が、キリスト教の教えに従って、深く信じ込んでいた心の世界というものを、その人の周りに、まるで、この物質世界とほとんど同じくらい、非常にありありとしたリアリティーを伴う世界として、創り出してしまったために、そうした一種の幻影、もしくは、一種のバーチャル・リアリティーのような世界を体験するようになった、ということです。

 ですから、こうしたケースの場合、その人は、本当に、生前、何か悪いことをして、地獄のような世界に行ったのか、というと、本当は、そうではなくて、その人が、生前、深く信じ込んでいたキリスト教の教えの通りの世界が、死後、その人の周りに、かなりのリアリティーを伴って、現実化してしまった、ということになるので、はっきり言うと、生前のその人の罪の結果、死後、その人が、地獄に行った、というよりかは、どちらかと言うと、生前、その人が信じた宗教の教えの結果、死後の世界に、とんでもない地獄のような世界が、たくさん出現するようになってしまった、というのが、より正しい説明になるのではないか、ということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年1月6日 9:11 PM, キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 時間と空間の秘密



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