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現在の地球には、単純に男性とも女性とも言いがたいような「第三の性」と言ってもよいような性別の人々が、たくさん普通の男性や女性としての生活を送っている Part 2

文明の成熟化と共に、男性の女性化や女性の男性化のような社会全体の中性化は、だんだん確実に進行するようになるのだが、それは、既存の伝統や秩序に基づく社会構造の大きな変化を意味するので、たいていの場合、古い権力者層に当たる人々が、いろいろな手段で執拗に妨害してくることが多い

 それは、いったい、なぜなのか、というと、これは、まだ現代の地球人はあまりよく理解していない内容であるのですが、文明の法則としては、その文明が発達し、ある程度、成熟化してゆくようになると、ある段階から必ず男性の女性化や女性の男性化のようなことが始まり、その社会全体の中性化のようなことが起きるようになってゆくことが多いのですが、ところが、もし、その途中経過の段階で、そうした男性の女性化や女性の男性化が大きく阻まれて、その社会全体の中性化のような性の融和に失敗して、再びその社会の過去の文明のように、「男性は、男性らしく」、とか、「女性は、女性らしく」、というような社会の方向に逆戻りしてゆくようになると、残念ながら、ある段階から、その社会全体にものすごく強いストレスや潜在的な破壊欲求や混乱欲求のようなものが蓄積されてゆくことが多いので、私の知っている限りでは、そうした社会の潮流になった場合には、早くて、数年、遅くても、たいてい、数十年ぐらいのうちには、何らかの戦争や経済混乱や、あるいは、度重なる天変地異のようなものによって、その社会全体が、繁栄の方向から大きく舵を切って、長い長い停滞状態や、あるいは、大きな崩壊や混乱状態に入ってしまうケースが非常に多い、ということなのです。

 このように、その文明が発達し、ある程度、成熟した段階においては、わりと自然な形での男性の女性化や女性の男性化というものを、多くの人々が、なるべく寛容な姿勢を持って、暖かく見守るようにしつつも、ただ、その社会全体の大混乱のような事態にだけはならないように、うまく社会の舵取りをしてゆくことが非常に重要になってくるのですが、ここで一つだけ大きな問題があって、実は、この「男性が男性らしく」、とか、「女性が女性らしく、生きるべきだ」、というような意見というのは、たいてい、一昔前の時代の人々の模範的な生き方であることが多いために、こうした社会全体の中性化のようなことが進展し始めた社会においては、たいてい、何らかの伝統や秩序に根ざした一部の特権階級のような人々、特に教育に権益を持つ一部の特権階級のような人々が、いっけん、正当そうなたくさんの大義名分を並べることによって、結構、こぞって、ここぞとばかりに、そうした社会の中性化を大批判し、大糾弾するようなキャンペーンを始めて、かなり執拗に妨害してくることが多い、ということなのです。

 

その国の社会における男性の女性化や女性の男性化の進展をよく権力者層に当たる人々が、伝統や秩序の大義名分の下に執拗に妨害してくることが多いのだが、ただ、よく考えてみると、そうした権力者層の人々自身が、何のことはない、男性なのに上品で穏やかな女性的な人物であったり、あるいは、女性なのに大勢の人々にあれこれ細かく指示や命令を下す男性的な人物であることも多いので、こうした話は適度に割り引いて、自分が最も幸福と感じられるような自由な性表現をしてゆけば、それで十分なのではないか

 さて、そうすると、これは、よく考えてみると非常に巧妙な社会のトリックであるとしか全く言いようがないのですが、実は、たいていの場合、そうした社会で、「男性が男性らしく」、とか、「女性が女性らしく」、と大義名分を振りかざしているその社会の権力者層に当たる人々自身が、なぜ彼らだけが、とても幸福そうにしているのか、ということをよくよく冷静に調べてゆくと、何のことはない、そうした一部の特権階級のような人々は、多くの人々に古い伝統や秩序の大切さや、男性らしい、あるいは、女性らしい生き方をかなり熱心に勧めているにも関わらず、そういう彼ら自身は、いろいろな伝統や作法に則っているということで、男性なのに、かなり女性的な、ゆったりとした非常に上品な穏やかな振る舞いをしていることが多かったり、あるいは、女性なのに、結構、大勢の人々にいろいろ細かく指示や命令を出していることが多かったりするなどというように、男性の女性化や女性の男性化した仕事や生活を十分に満喫している、その当の張本人であることが非常に多い、というような妙なパラドックスがあったりするものなのです。

 それゆえ、これは、よく考えてみると非常に不思議な話であるのですが、「男性が男性らしく」、とか、「女性が女性らしく」、と古くからの伝統や秩序の大切さを一生懸命、強調するような権力者階級の人々がいる国に限って、意外なことに非常に女性的な男性の君主がいる、とか、非常に男性的な女性の君主がいる、というような妙なパラドックスがあったりするものなのです。

 ですから、私は、男性の女性化や女性の男性化に強く反対する一部の権力者階級の人々がいるような社会であるにも関わらず、よくよく調べてみると、何のことはない、その国の特権階級に当たる人々の様子は、男性なのに、何となく女性的で中性的であったり、あるいは、女性なのに、何となく男性的で中性的であったりするようであるなら、はっきり言うと、多くの人々の立場としては、「彼らの話は、現実の本音とは全く違う、単なるきれいごとのうわべだけの話なのだ」、というように単純に割りきって、自分が、最も幸福と感じられるような自由な性表現をしてゆけば、それで十分なのではないか、というように率直に感じております。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年11月21日 9:16 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 政治 / 社会、文化 / 結婚、家庭



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