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コラム 現在の日本の社会を二分する締め付ける側の立場の人々の群れと、締め付けられる側の立場の人々の群れについて

 時間の都合で、これは、ちょっと要点のみを、サッと書くだけの話になってしまうのですが、現在の日本の社会を見ていると、いろいろな面で一方では、「とにかく言われた通りにして、我慢していないといけない」とか、「難しい試験を通るために勉強しないといけない」とか、「とにかく、どんなことでも下の人は、上の人の命令に従って、何でもやらないといけない」などというような、いわゆる締め付けられる側の立場の人々と、その一方で、これはたいてい、そうした難しい試験を突破した後とか、年上になった後とか、いろいろ経験を積んで偉くなった後というようなスィチュエーションになっていることが多いのですが、要するに、そうしてある程度の期間、勉強して難しい試験を通ったとか、年上になったとか、偉くなった後には、「やっと長いこと我慢して努力して、偉くなったんだから、とにかく威張らなくちゃ損だ!」とか、「今度は、年下の人間をこき使わないと気が済まない!」とか、「今度は、自分が難しい試験をして、たくさんの人間を管理する側にならないと気が済まない!」とか、「とにかく今の体制を維持して、自分の地位や利益を守らないと気が済まない!」などというような気分や行動をとらざるを得ないような、いわゆる締め付ける側の立場の人々の二つの集団に、どうしても分かれてゆきやすいようなところがあるということなのです。

 

 つまり、もう一度、現在の日本の状況を分かりやすく整理し直すと、一方では、

1、「何があっても、とにかく目上の人の言われた通りに、自分を殺してでも我慢して、言うことを聞かないといけない」

2、「とにかく、この難しい試験を通らないと、自分の未来は、全然開けない」

3、「とにかくある程度、認められる年になるまで、歯を食いしばってでも我慢して、今の学業や仕事や家庭生活を続けないといけない」

というような状況になっているのですが、ところが、その一方では、

1、「やっと自分が威張れる側になったのだから、今度は、とにかく自分の目下の人間を何が何でも縛って、言うことを聞かせないと気が済まない」

2、「やっと難しい試験を通ったのだから、とにかく当分は試験のことは忘れて、楽な生活がしてみたい」、あるいは、「今度は、自分が難しい試験をする側になってみたい」

3、「やっと長いこと頑張って、人から認められるような年になったんだから、今度は、今まで自分がされてきたように他人を、自分の自由に動かして楽しんでみたい」、

などというような状況になってきやすいということなのです。

 

 つまり、私達の社会というものを、もう一度、客観的に見てみると、これは、ちょっと大変、意外なことであるのですが、一応、建前では、現在の日本は平等社会ということにはなっているのですが、実際には一方では、常に締め付けられ、言うことを聞かされ搾取され、我慢を強いられる立場の人々と、そうした立場の反動とも、裏返しとも言えるような立場、つまり、そうした人々が一定期間経った後には、今度は自分が、昔の自分と同じような立場の人々に対して、常に締め付け、言うことを聞かせて搾取し、そして我慢を強いるような立場の人間になるというような、あまり良いとは言えないような、ある種の悪循環が起き続けるような社会構造になっているということなのです。

 現在、こうした一方で締め付けられる側になる人々が出たり、一方で締め付ける側になる人々が出るような社会の構造というのは、長い目で見ると、だんだん解消されるような方向に進みつつあるのですが、現在の時点では、こうした人間同士の関係は、まだまだ色濃く残っているのではないか、ということなのです。

 

Cecye(セスィエ)

2011年11月18日 9:12 PM, コラム / 政治 / 社会、文化



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