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ホームスクーリング続編 Part 1

 前にホームスクーリングについて、書いたことがあったのですが、今回は、その後の続編になります。

※私や私の家族も、みなさんと同じように、いろいろ大変なことがあるので、後から読むと、「この話は、ちょっと愚痴っぽいかな」、とも思われたので、読みたい方だけ、読まれてください。

 

1、日本の多くの学生は、学校で英語の授業を受ける訓練は、たくさん受けているが、肝心要の「使える英語」は、いかにして、マスターするのか、ということは、全然、分からなくなってしまうようなところがある

 うちの子供は、ホームスクーリングで、家で学習しているうちに、いつの間にか、普通の学生の感覚と大きな差ができてしまったためか、大学に進学して、一番、驚いていたのは、普通に高校に通って、大学に入学してきた学生が、あまりに受け身な態度で、自分で、いろいろ調べたり、考えたりする能力が、著しく低いことだったようです(それと、日本の学校に通っていると、ものすごく人目を気にしたり、劣等感が強くなるようだと、力説しています)。

 それというのは、「わざわざ、ネイティブの外国人が、英語の授業をしているのに、みんな教室の後に座って、何も喋ろうとしないし、第一、そうした学生の人達と話してみると、みんな英語を、学校でおすわる方法は知っているけれども、肝心要の英語というのは、いったい、どうやって、勉強すればいいのか、ということを、全然、知らないことに気付いて、愕然とした」、というように話していました(本当は、英語教育の目的は、外国人と、気軽に、楽しく、コミュニケーションできるようになることが目的のはずなのに、日本の学校で、英語教育を受けると、とにかく、英語が正しいか、間違っているか、ということばかり、四六時中、気になるようになって、そのうち、英語と聞くだけで、苦手意識を持つようになったり、何となく、外人を見ると避けるようになってしまいがちですよね・・・)。

 それで、結局、うちの子供が、「英語は、こうやって、勉強すれば、実際に話したり、読み書きできるようになるんだ」、というような話をしてあげると、ほとんどの人は、「そんな話、初めて、聞いた」、とか、「そんなこと、学校では、全然、教えてもらわなかった」、というような話になって、なんだかんだ言って、しばらくすると、次から次へと、教室の学生に、「英語の勉強は、こうやって、するんだ」、というような話をしなくてはならなくなっていったようです。

 それでは、ネイティブの英語の教師達は、いったい、どんな感じだったのか、というと、「How are you!(以後、英語で、ペラペラ・・・・)」、(以下、日本語訳)「って、言っても、この会話、誰も分からないんだよな・・・」、と、ポツリと話したり、あるいは、そうしたネイティブの教師の事務所に言ってみると、みんな英語で、「それにしても、この仕事って、すごいストレスの溜まる仕事だな・・・」(子供の話によると、よく外人の人は、日本人は、英語でしゃべっても、全然、分からないと思って、結構、本音の話を、そのまま英語で話していると言います)、などと、英語で会話しているような始末で、「こんなに、たくさんネイティブの英語の教師がいても、学校教育全体のやり方が悪いと、全然、ダメなんだな」、と、私は、しみじみと感じました。

 そうすると、今度は、学校側としては、「うちでは、厳しい英語教育をしている」、と、とにかく、一生懸命、課題を増やしたり、厳しい試験を行おうとしてくるようなのですが、ところが、そうすると、学生の側としては、「こんなに厳しくやられると、今まで好きだった英語が、だんだん、嫌いになってきた」、とか、「いきなり、こんな分厚い英書を読めと言われても、日本の大学受験のレベルでは、全然、読めるわけないじゃない」(普通、日本の英語教育だと、大学受験レベルで、英語の絵本を読むのにすら、困難を感じます。つまり、全然、使えない英語文法や、英単語ばかり教えている、ということです)、というような話になってきて、学校側の形式的な対応と、学生側のニーズが、完全に不一致の状況になっていて、私は、よく日本で、昔から問題になっているような、官僚と一般市民の感覚のギャップと、ほとんど同じようなものを感じました。

 

 ちなみに、ネイティブの英語教師の人達は、いったい、どんなことを愚痴っているのか、というと、「自分達のやりたいようにやらせてくれれば、英語なんて、簡単だから、そこそこ、出来るように出来るはずなのに、このカリキュラムが、ダメなんだよね(だって、たいていの英語の教師の人は、英会話教室で、仕事してたことがあるはずですから・・・」、とか、「結局、このカリキュラムだと、みんな、一生懸命、やっても、卒業する頃になっても、読み書きも、英会話もできないんだよね」、とか、「そんなに英語ができるなら、君(うちの子供のこと)が教えれば、いいじゃない!(日本の学校制度では、無理です)」、などと話していたりするので、多分、日本の英語教育は、裏では、暗記と試験責めで、国民を、単に英語ができないだけでなく、根っからの英語の苦手意識、英語嫌いの国民にするための愚民化政策があるのではないか、と私は、勘ぐっております(現在のようなインターネット時代になると、英語ができるのと、できないのとでは、本当にものすごい情報格差ができるので、多分、言語による情報鎖国が、本当の目的なんじゃないか、と私は感じております。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年11月5日 7:15 PM, コラム / 教育



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