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宗教的価値観に基づく絶対的な正義と悪や善と悪の時代から、民主的な最大幸福実現のための相対的な正義と悪や善と悪の時代へ Part 1

2、単純な宗教的な正義と悪や善と悪の基準をそのまますべて社会に適用しようとすると大変な混乱や不幸を巻き起こすことが多いので、それよりかは、現実の社会における多くの人々や生命達の利害や幸不幸をよくよく冷静に客観的にトータルの目で見定めた上で、その時々の状況に合わせた正義と悪や善と悪を決めていった方がよいのではないだろうか

 第二には、これは世間では、かなり誤解されているようなのですが、たいてい、宗教というと、「正義(正しさ)」と「悪」、とか、「善」と「悪」についてのかなり強烈な分別というものが要求されてくるようなところがあるのですが、ここまで、さまざまな観点から、このブログで述べてきたように、私は、こうした見方には、かなり懐疑的で、「この世界には、明らかな正義と悪や善と悪がある」、というような価値観や世界観をあまりにも強く持っていると、実は、原則、「高次元世界」と呼ばれる世界には全く行けない、というような宗教と現実の霊界との間の妙なパラドックスのようなものがあった、ということなのです。

 つまり、自分自身の感覚や感情として、「あいつは、絶対に悪い奴だから許せない!」、とか、「自分が絶対に正義だ!」、とか、あるいは、「これは絶対に悪で、これが絶対に善だ!」、というような感覚や感情をあまりにも強く持っていると、これは、言ってみれば、二分裂、というか、もともと一つであったものを常に二つに分けて、切ってゆくような考え方や行動のあり方になってしまうので、実は、こうした考え方を持っていると、原則、高次元世界の「天国」とは言えないような世界、つまり、地上の世界や、霊界でも「四次元世界」と呼ばれるような「偽天国」や「地獄」や「幽界」と呼ばれるような場所の間を、肉体の死後、自分自身でも全くよく分からないうちに、あっちに生まれたかと思うと、今度は、こっちに生まれる、などという具合に、ぐるぐるぐるぐると訳の分からない無数の生まれ変わりの中に巻き込まれてしまうようなことになりやすかった、ということなのです。

 これが、宗教を熱心にやっている場合の一番の問題点であった、ということなのですが、それでは、こうした、「正義」と「悪」、あるいは、「善」と「悪」について、いったい、どのような考え方を持てばよいのか、というと、大体、要約すると、以下のような二つのことが言えます。

 

①よく宗教熱心な人は、単純に一方的に正義と悪や善と悪を決めつけようとするようなところがあるのだが、できれば、それぞれの出来事に関する利害関係者全員の利益や不利益や幸福や不幸の状況をなるべく冷静に客観的に見直してみて、その上で、その時々の状況に合わせて、正義(正しさ)と悪や善と悪を決めていった方がよいのではないだろうか

 まず第一には、たとえ、自分が、何らかの宗教を熱烈に信じていたとしても、何かあった際に、「これが正義で、これが悪だ」、とか、「これは善で、これは悪だ」、などと、すぐに単純に決めつけたりしないで、そうした何らかの出来事に関する利害関係者全員の様子をわりと客観的な態度で見直してみて、「この出来事では、一部の人達だけが、とても利益を得て、楽しそうにしているが、他の大多数の人々は、みんな損をして、とても大変そうな状況になっているので、この件については、全体的に見ると、どう考えてみても、この一部のちょっと意地汚い利益を上げている人達が悪で、それ以外の大多数の人々は、どちらかと言うと、善というより、単なる被害者なのではないか」、とか、「ということは、この場合は、一部の不当な利益を得ている人の利益を削って、大多数の被害者の人達に公平に分け直すことが正義なのではないか」、とか、あるいは、「宗教では、これは悪と言われているけれども、現実のみんなの生活を見ている限り、この宗教の戒律をそのまま守ると、とても不幸になる人達がいるので、もし、その宗教の聖者が、現在も生きているとしたら、絶対にこんな戒律を守らせなかったと思われるので、自分としては、ここは、もし古い戒律を守らなかったとしても、悪と見ないで善と見ることにしよう」、などというように単純な正義と悪とか、善と悪という視点ではなく、それぞれの人々の利害関係や幸不幸の状態をわりと客観的な態度で見直してみて、「トータルの目で見ると、この場合は、どちらかと言うと、これが正義で、これが悪かな」、とか、「実際の多くの人々の生活の利便性や幸不幸の視点から見ると、別のケースの場合はともかくとして、このケースの場合は昔と違って、現代だと、これが善で、これが悪かな」、などという具合に、わりと相対的な感覚で、それぞれの人々が、自分自身の実体験や冷静な判断に基づいて、その場所や、その時々や、その人や、その条件等に合わせて、それぞれの正義と悪や善と悪というものを決めるようにしていった方が良いのではないか、というように私は、率直に考えております。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年11月4日 9:21 PM, おすすめ記事 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 政治



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