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宗教選びの五つの要素について Part 6

②農業や商売や、王家や貴族の生活の中で、多くの人々が、非常に強い願いや憧れを持っているにも関わらず、その手段が、学問的、あるいは、技術的に、まだよく分かっていない場合には、そうした夢や憧れを、パッと現実化してしまう便利な魔法のツールとして、古来から、さまざまな神仏への信仰が模索されつづけてきた節(ふし)がある

 第二には、これも、非常に多いケースになるのですが、人間というのは、いい気なもので、本当は、神仏を信仰しているというよりも、「とにかく、穀物が豊かに実りますように」、とか、「とにかく、お客さんが、たくさん商品を買ってくれて、商売が、うまく行きますように」、とか、「とにかく、王家や貴族の家が、子宝に恵まれて、末永く繁栄してゆきますように」、などというような、はっきり言うと、今日の感覚で言うと、気象コントロールや、農業用の肥料や農薬や、商売の販促ツールや、産婦人科の医師や、素晴らしい教師のような役割を、本当は、自分達には、全く、よく分からないし、全く出来ないというような理由から、いろいろな理由をつけては、目に見えない神仏の仕事とばかりに、何でもかんでも、片っ端から押し付け続けてきたようなケースが、かなり数多くあったのではないか、ということです。

 これは、よく考え直してみないと、なかなか分かりづらいのではないか、と私も思うのですが、要するに、「今年も、穀物が、豊作になってくれないと困るのだが、農業は、天気任せのようなところがあるので、何とか、気象変動のリスクを、少しでも減らすことができないか」、とか、「商売は、難しくて、なかなか、うまく行かないものなのだが、そこを、何とか、普通の商売の努力やテクニック以外の何かで、パッとお客を集める、とか、パッと、たくさん売りさばくみたいなことができないか」、とか、「いくら王家や貴族の家柄だからって、そう何代も何代も、政治や経営の天才みたいな人間が、子孫に生まれ続けるなんてあるはずないのは、よく分かっているのだが、そこを、何とか、ものすごく優秀な子孫が、いつも生まれる、とか、世間知らずの、お坊ちゃん、お嬢さんにならないように、何とか優秀な、みんなから慕われるような人間に育てることができないか」、というような、言ってみれば、本当は、現実には、全く手立てのないような、何らかの目的を叶えるための一種の魔法のツールとしての、神仏への信仰というものが、いつの時代も、人間の社会では、まるで妄想のように、何度も何度も、夢見られてきたり、あるいは、かなり、それらしく確かなことのように説かれ続けてきたようなところがあった、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年10月25日 9:16 PM, コラム / 人生観、世界観



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