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「ワンネス主義」は、確かにある種の悟りや理想を表す尊い概念ではあるが、現実には、あまり良い結果をもたらさないことの方が遥かに多い Part 1

 よく、こうしたアセンション系やスピリチュアル系の書物では、「すべては、一つ」、とか、「すべては、一つに統合されている」、というような意味の「ワンネス」と呼ばれる言葉を耳にすることが多いのですが、私は、この「ワンネス」という考え方については、半分ぐらいは、合っているけれども、もう半分ぐらいは、全然合っていないのではないか、というような考え方を持っています。

 その理由としては、大きく四つあります。

 

1、深い瞑想によって、精神的に高揚した、ある種の「悟り」のような精神状態になると、自分を含んだ「すべては一つである」というような認識を持つのは、確かに事実であるのだが、この物質世界の現実では、常に「自分と他人は、全然別の存在である」というような分離や拒絶の感覚が支配している、というのも同じくらい事実である

 まず第一には、これは、深い祈りや瞑想によって、自分の精神が非常に高揚するような霊的体験をした方は、ほぼ全員、口を揃えて、言っているような内容になるのですが、そうしたある種の悟りのような体験をすると、「自分や周りの人々や、あるいは、大自然の中のすべての生きとし生けるものが、すべて一体である」、というか、「すべて一つである」、というような認識を持つようになるのは、確かに事実であるのですが、ところが、そうした人であっても、いったん、そうした意識が解けて、再び、この地上の世界の状況を客観的に見回してみたり、あるいは、他の人々と会って、実際に話したりしてみると、もう途端に、「さっき体験していた世界と、この世界は、全然、別の世界なのではないか」、とか、「この人に話しても、自分の感覚は、全然、理解できないだろうな」、とか、「この人と自分は、全然、別の存在なのではないか」、などという具合に、そうした、ある種の悟りの感覚、というか、霊的な感覚とは全く正反対の分離の感覚や、また、場合によっては、全く正反対の拒絶の感覚というものを、かなりはっきりと感じることが多い、ということです。

 これは、いったい、なぜなのか、というと、確かに自分の意識が高揚して、ある種の悟りのような状態に入っている時には、「自分や周りの人々や、あらゆる生き物達や大自然が、すべて一つである」、というような認識を持てるのは、実際、事実であるのですが、ところが、この現実の世界では、どんなに自分とよく似た人であっても、常に自分と他の人とでは、やっていることも考えていることも全く別であることが多いし、また、相手によっては、自分が、いくらより良い人間関係を築くために努力してみたとしても、単に自分に対して、距離をとって、突き放すばかりではなく、さまざまな理由で敵意や憎しみをもって、いろいろな感情や行動をぶつけてくるような人もいないとも限らない、というのが、実際の現実であるからなのです。

 つまり、この物質世界では、確かに精神的に高揚した、ある種の悟りのような状況においては、「自分を含んだ、すべての世界は、一つなんだ」、というような認識は、わりと簡単に持つことができるのですが、ところが、ひとたび現実に戻ると、「自分と他人とは、考え方も行動も全く違う」、とか、また、場合によっては、「自分と完全に敵対するような考え方や行動をする人すらいる」、というのが、現実の実態なのではないか、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年10月3日 9:11 PM, おすすめ記事 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 宇宙文明、古代文明 / 宗教、道徳



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