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この宇宙における唯一にして、至高の光の創造主の存在と、その下で活動する無数の光の存在達について Part 2

この宇宙における唯一にして、至高の光の創造主の下で活動する、さまざまな光の存在達の活動と、それに付随して、霊的には、いかにも正当性に見えることもある地上の世界における「守護霊信仰」の危険性について

 さて、それでは、ここで、もう一度、話を戻しますが、要するにそうすると、この「宇宙の光の創造主」と「光の存在達」、すなわち、一部は、「守護霊」と呼ばれる存在というのは、いったい、どのような働きをしているのか、というと、だいたい、以下のような三つのことが言えます。

 

①仏陀やキリストやエローヒムやアッラーなどと、いろいろな名前の呼ばれ方や個性や教えの違いがあったとしても、その奥には、この宇宙における唯一にして、至高の光の創造主のことを指しているに過ぎない

 まず第一には、この宇宙には、仏教的には、「仏陀」、キリスト教的には、「ゴッド」や「キリスト」、それから、イスラム教的には、「アッラー」、さらに言うと、インド的には、「ブラフマー」や「ヴィシュヌ」や「シヴァ」、中国的には、「天帝」、それから、日本的に言うと、「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」や「天照大神(あまてらすおおみかみ)」、などというように、いろいろな名前の呼ばれ方や個性や教えの違いがあるにも関わらず、その奥には、この宇宙における、ただ一つにして、至高の光の存在とも言えるような「光の創造主」のような存在がいる、ということです。

 ですから、本当は、仏教的に「仏陀」と言おうが、キリスト教的に「ゴッド」や「キリスト」と呼ぼうが、イスラム教的に「アッラー」と呼ぼうが、本当は、どれもこの宇宙における唯一にして、至高の光の存在である「光の創造主」のことを信仰しているのではないか、ということです。

※これは決して、現在、地球上にある宗教における「神仏」の概念をそのままよしとして認めているわけではないのですが、ただ現在、地球上の多くの人々が、宗教的に信仰している「神仏」の概念の奥には、そうしたこの宇宙における唯一にして、至高の光の創造主のイメージや憧憬が、かなり強く投影されているように見える、ということです。

※日本の神話における神々の名前は、ほぼ完全に意味不明なので、私は、ほとんど信用していないのですが、多くの日本人が単純に考えているように、ここで言う「天之御中主神」というのは、単純に天(宇宙)の中心の神というような意味であり、また、「天照大神」というのは、単純に太陽に象徴されるような万物を生かし、育む根源の光としての女神というような意味になります。ただ、ここでは、紙面的にあまり詳しく書けないのですが、単純に「太陽」そのものを神としてしまうと、太陽というのは、単なる物理的な存在なので、本当は、宗教としては、かなり不完全なものである、ということは、一応、理解しておくべきであると思われます。

※それから、中国における「天帝」というのも、ここでは、おそらく、多くの中国人が単純に思い浮かべそうな、天の上の神のようなニュアンスであるので、当然のことですが、昔のローマや中国の皇帝とか、日本の天皇など、地上の世界における一部の国々の統治者とは、全く関係ありません。

 

②この宇宙には、唯一にして、至高の光の創造主の下にたくさんの光の存在達が活動しているが、彼らのことを、仏教的には、「菩薩」、キリスト教やイスラム教的には、「天使」などと呼んでいる

 第二には、そうした光の創造主の下には、その指導と指揮の下に非常に数多くの光の存在達が、さまざまな活動を行っているのですが、そうした光の存在達のことを、この地球では、仏教的には、「菩薩」、キリスト教やユダヤ教やイスラム教では、「天使」などと呼んでいる、ということです。

 ですから、彼らは、いっけん、この地上的には、異なる宗教の小神仏のような存在のようにも理解できるのですが、実は、この宇宙における、ただ一つの至高の光の創造主の下で、さまざまな活動を行っている光の存在達であった、ということです。

 

③光の存在達の中には、高次元宇宙ばかりでなく、この地球の文明にも、かなり強い関心をもって、いろいろな守護や指導を行っている存在達がいるので、彼らのことを地上の世界では、「守護霊」や「守護天使」などと呼ぶこともあるようなのだが、あくまで一人一人の人生は、その人自身が主体的に選択権や行動権をもって、歩むべきものなので、決して神頼み、守護霊頼みの生き方などしない方がよい

 それから、第三には、そうした光の存在達の中には、高次元宇宙ばかりでなく、かなり強い興味や関心をもって、この地球文明の成り行きを細かく見守っている存在達がいるのですが、そうした光の存在達の中には、地上の世界の人々の言葉を借りると、まるで警察や軍隊や医者や教師のような形で地上の世界の人々に対して、いろいろと細かく目に見えない形の霊的な指導や守護を行っている存在達が、本当に数多くいる、ということです。

 それゆえ、そうした光の存在達の一部は、この地上の世界の感覚で言うと、まるで「守護霊」や「守護天使」のような扱いを受けていた、ということなのですが、ただ、私が知る限り、こうした「守護霊」や「守護天使」と呼ばれる存在達というのは、現在の地上の世界の人々が思っているほど、地上の世界の人々の自由な人生選択や行動に対して、細かく干渉してくるようなことは、本当にめったにない、ということなのです。

 実際、これは、もうすでに多くの人々が、現実に体験したことなのではないか、と思うのですが、そうした「自分専門の守護霊や守護天使がいる」、というような考え方をしていると、人生というのは、結構厳しいもので、意外とどこかの時点で、そうした守護霊信仰のような考え方が災いして、大きな失敗や間違いをしてしまうことがあるので、本当は、これに関しては、結構厳しい注意が必要である、ということなのです。

 つまり、「守護霊」というのは、確かにいるようにも感じられるけれども、そうした守護霊を信じるよりかは、より高次元の光の存在達の総元締めに当たるような、この「宇宙の光の創造主」を信じるような態度をとった方が、ずっと良いと思うし、また、あまりに自分の守護霊や守護天使を信じすぎて、この世的に甘い判断や行動をしてしまうと、人生というのは厳しいもので、思わぬ失敗や過ちをしてしまうことも多いので、こうした守護霊信仰のようなものに深くはまるのは、結構、危ないところもある、というのが、霊的に見た厳しい現実だったのではないか、ということなのです。

 ですから、もし自分を霊的に守護している霊的な存在を信じるのであれば、私は、守護霊や守護天使というよりかは、どちらかと言うと、この宇宙の光の創造主に当たる存在を信じた方がよいと思うし、また、そうした霊的な存在を信じたとしても、「自分の人生は、常に自分が主人公である」、ということは絶対に忘れずに、自分自身でしっかりと責任をもって、自分が主体的な選択権や行動権を持って、生きてゆくことが、とても大切なのではないか、というのが、ここで伝えたい趣旨になってくるのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年9月23日 9:07 PM, イスラム教 / インド思想、ヒンドゥー教 / ギリシャ神話 / キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / ユダヤ教 / 中国思想 / 人生観、世界観 / 仏教 / 宗教、道徳 / 神道



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