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Q&A 守護霊について Part 1

 前回のような霊とのコミュニケーションというと、次には、「守護霊」とは、いったい何なのか、という話が気になってくる方が多いと思うので、今度は、「守護霊」とは、何なのか、ということについて、お話ししてみたいと思います(こういう質問が、時々来ます。かなり前だった気もしますが・・・)。

 

 まずよく巷で、「守護霊」というとよく聞かれるのは、それぞれの人を目に見えない形で、いろいろと守ってくれている霊の存在や、あるいは、何かその人に大変な出来事が起きた時にサッとやってきて、その人をいろいろな災難から守ってくれてくれる霊の存在などをあげることができるのですが、それでは、実際問題として、こうした守護霊がいるのかどうか、というと、これは、多くの人々の率直な経験から判断する限り、確かに本当にいるように思えることもあれば、やっぱり、どう考えてみても、本当はいないんじゃないかとも思える、というのが、多くの人々の実感になっているのではないか、ということです。

 それでは、霊的に見ると、いったい、どういうことが言えるのか、というと、これが、簡単に説明するのは、本当にかなり難しい内容になってくるのですが、だいたい、要約すると、次のような三つのことが言えるのではないか、と思われます。

 

1、一人一人の人を見守り、導くような「守護霊」と呼ばれる霊的存在は、確かにいるとも言えるが、また同時に、どう考えてみてもいないとも言えるような非常に不思議な存在である

 まず第一には、これは、最初に述べたこととほとんど同じ結論になるのですが、霊的に見ても、また現実的に見ても、この地上の世界に生きているそれぞれの人を、いつも見守っている守護霊のような存在はいるとも言えるし、また同時にいないとも言える、というのが、おそらく、最も正しい結論になるのではないか、ということです。

 その理由は、極めて簡単なのですが、この地上の世界の多くの人々の人生模様を見る限り、実際問題として、とてもではないが、一人一人の人に霊的な存在が、いつもいつもしっかりと見守っているようには、全く思えない、ということです。

 つまり、今日も世界のどこかでは、突然の事故や怪我にあったり、全く予期もしていないような病気や災難に遭っている人が、ごまんといるはずなので、実際問題として、それぞれの人に守護霊がついて、しっかり見守っているようには、とてもではないが、全く思われない、ということです。

 ただ、これもおそらく霊的、というよりも、多くの人々の実感に基づいた意見になるのでしょうが、今日も世界のどこかでは、どう考えてみても、物理的な現象とは全く思えないような一種の奇蹟によって、いろいろな事故や災難から救われたり、あるいは、病気や怪我が癒されたのではないか、と思われるような人々が、たくさんいるようなので、そうした人々の様子を見る限り、やはり、どう考えてみても、この世的な存在ではない、目に見えない何らかの存在が、多くの人々を助け、導いているのは、ある意味で確かな事実なのではないか、ということです。

 このように今日の世界の多くの人々の人生の様子を冷静に見守る限り、おそらく、それぞれの人をしっかりと見守り、導いているような何らかの霊的な存在がいることは、確かに事実であると思われるけれども、ただ、そうした目に見えない何かというのは、それほど、いつもいつも一人一人の人をしっかりと見守り、導いているようには、とてもではないが全く思われない、というのが、霊的、あるいは、現実的に見た守護霊の実態なのではないか、ということです。

 

2、一昔前の時代のように、多くの人々が、親子代々の世襲的な身分や職業をえんえんと続けていた社会であれば、多くの人々が、「自分の守護霊=自分の先祖=神様、仏様」と考えがちであったのも分からないでもないが、現代のような自由と平等の時代には、そんな何十年、何百年も前の先祖の霊達が、何十人、何百人かかったとしても、ろくに一人の人間の守護もできるはずがない、というのが、現実なのではないだろうか

 第二には、ここで一つ疑問が発生するのですが、よく巷では、「自分の先祖や縁のある人が、自分の守護霊になっている」、というような話を聞くので、これが、現実にあり得るかどうか、ということが、次の問題になってくるのですが、私は、今日の世界の多くの人々の仕事や生活の実態を見てみる限り、これは、現実には、ほとんど無理な話なのではないか、というように率直に感じております。

 その理由は、多分、これは、一昔前の時代のように、「自分が一番信頼できるのは、家族や親族ぐらいしかいない」、というような家族主義や親族主義の社会の人々には、ほとんど受け入れられないような内容になるのではないか、と思われるのですが、要するに現在の多くの人々の様子を見ていると、人々の仕事や生活の様子が、そうした一昔前の時代と比べて、あまりにも大きく変化しすぎてしまっているために、現実問題として、現代の時代にそうした家族主義や親族主義の守護霊活動なんて全く不可能なのではないか、ということです。

 つまり、一昔前の時代というのは、もう農民の人の先祖は、ほとんど農民、商人の人の先祖は、ほとんど商人、それから、武士の人の先祖は、ほとんど武士、といった具合に、「自分の先祖=自分と同じ職業や身分」、というような非常に厳しい身分制の時代であったので、こうした時代において、多くの人々が、「とてもではないが、他の人の先祖が、何の縁もゆかりもないような自分のことを守ってくれるなんて全く信じられない」、とか、「もし自分を陰ながら目に見えない形で守ってくれている存在がいるとすれば、それは絶対、本当の神仏か、自分の先祖ぐらいしか考えられない」、とか、「もし亡くなった先祖の人達が、自分や家族を陰ながら見守ってくれているのであれば、それは、もう仏や神とほとんど同じことだ」、などというように単純に考えがちであったことが、そうした形で、「自分の先祖=自分の守護霊」、「自分の先祖=神様、仏様」、などと強く思い込んだ直接の理由だったのではないか、ということなのです。

 ところが、現代のように民主主義や経済の発達した時代になると、もうほとんどの人は、親の職業とは全く違う職業についているし、また、ほんの一部の特殊な例外を除いて、ほとんどの人は、親子代々と連綿と続く世襲制の身分とは、全く関係ない状況になってきているので、それゆえ、こうした時代においては、はっきり言って、何十年も何百年も前に生きていたような今の自分とは、職業も身分も全く異なるような人間が、仮に「守護霊」のような霊的な仕事をしたとしても、現実には、ほとんど何の役にも立たないのではないか、ということなのです。

 こうした観点から見る限り、おそらく、これは、一昔前の時代にも、本当は、あまり変わらなかったのではないか、というように、私は素朴に感じているのですが、今日の多くの人々の仕事や生活の実態を見る限り、「自分の先祖や縁のある人が、自分を霊的に守護している」、という話というのは、現実的に見て、ほとんど不可能なのではないか、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年9月20日 9:19 PM, Q&A  / スピリチュアリズム、霊界



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