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Q&A 亡くなった人々とコミュニケーションするには、いったい、どうすればよいのか? Part 10

3、とにかく、短時間のうちに、たくさんのアイデアをひねり出す訓練をする、とか、他の人と話している時に、パッとウィットに富んだ発言をするような訓練をすることは、より実用的な霊とのコミュニケーションであると言える

 第三には、これも、かなり意外な方法になるのですが、実は、単に大量の暗記中心の学習ではなくて(場合によっては、それが必要なケースもありますが)、とにかく、何も知らなくても、何の経験もなかったとしても、たくさんのアイデアをその良し悪しを問わず、出し続ける訓練をする、とか、とにかく、いろいろな人と話し合う機会を設けて、出たとこ勝負でウィットに富んだ発言をするような訓練をすることは、これは、当人の自覚としては、全くよく分かっていないことが多いのですが、はっきり言って、かなり実用的な霊とのコミュニケーション、というか、異次元世界にあるたくさんのアイデアを引っ張ってくる訓練になるようなところがある、ということなのです。

 つまり、このケースの場合も、もう霊とのコミュニケーションなんて自覚も感覚も全くないケースが多いのですが、これは、実際にやってみるとよく分かるのですが、実は、人間というのは、自分が知らないことや、やってみたことのないことであっても、たくさんのアイデアをひねり出してゆくうちに、意外と一つや二つは、ものすごく良いアイデア、というか、良い解決策を思い浮かべられるようなところがある、ということなのです。

 こうした発想の訓練や会話の訓練というのは、日本の学校だとほとんど軽視されて、あまり行われていないことが多いのですが、ところが、ひとたび社会人になって、ビジネスの世界に出てみると、意外なことに、ある程度、仕事ができるようになった後には、こうした形で、何か問題が起きた時には、パッと新しい発想ややり方を閃くことができる、とか、いろいろな人と話している時に、パッと機転の利いたウィットに富んだ発言をすることができるような人というのは、多くの人々の間で、だんだん一目置かれてゆくようになってゆくことが多い、ということなのです。

 ですから、私は、どちらかと言うと、単に霊とのコミュニケーションができるようになる、ということよりかは、そのそもそもの目的である自分の人生における何らかの問題の解決や新たな方向性の獲得のためには、どちらかと言うと、今述べたような形で、ちょっと行き詰まった状況下においても、ある程度、まとまった思考や会話のための時間さえあれば、次々と新しいアイデアを思いつくことができる、とか、パッと相手が、アッと驚くようなウィットに富んだ発言ができる、というような能力を獲得していった方が、ずっと良いのではないか、というような感想を持っております。

 

霊的なことにも、現実的なことにも、あまり極端に流されずに、あくまで自分や周りの人々の幸福を中心に「幸福主義」的な観点でもって、スピリチュアルなことも十分に楽しみ、また、現実的なことも十分に楽しむことが、自分の人生の価値を最も高めるための一つの工夫になるのではないだろうか

 さて、このような形で、さまざまな観点から霊とのコミュニケーションについて、述べてきたのですが、要するに、最後に結論的な内容を述べると、これは、こうした霊的なことに興味のある方には、全く思いがけない話になるのではないか、と私は思うのですが、霊に興味のある人ほど霊から少し距離をとって、もう少し現実的な解決策を模索した方が、自分の人生は、もっとうまく行くのではないか、ということと、その反対に、霊に興味のない人ほど霊的なことにも少し興味を持って、もう少し霊的な解決策を模索した方が、自分の人生は、もっとうまく行くようになるのではないか、というような、ちょっとおかしな結論になるのです。

 つまり、霊的なことにも、現実的なことにも、あまり極端に流されずに、あくまで自分や周りの人々の幸福を中心に「幸福主義」的な観点でもって、スピリチュアルなことも十分に楽しみ、また、現実的なことも十分に楽しむことが、自分の人生の価値を最も高めるための一つの工夫になるのではないか、ということなのです。

 そして、そうしたスピリチュアルなことも、また現実的なことも十分に楽しみ、自分や周りの人々の幸福を最大限に実現できるような幸福主義的な世界が、それほど遠くない未来に実現してゆくのではないか、というのが、この「アセンション」というタイトルのブログの趣旨になっている、ということなのです。

 

Cecye(セスィエ)

2011年9月18日 9:11 PM, Q&A  / スピリチュアリズム、霊界 / 瞑想



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