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カルマについて Part 2

3、霊的に見ても、現実的に見ても、宗教的な手法によるカルマの清算は全く不可能なので、近現代に入ると、この宇宙の創造主の意思によって、できるだけ民主的かつ現実的な人間関係上の問題解決のための手段が、全地球規模で、だんだん講じられるようになっていった

 第三には、これは、よくよく筋道立てて、考え直してみないと、よく分からないような話であるのですが,実は、もし霊的なカルマの法則というのが、本当にあった場合には、どう考えてみても、いかなる宗教的な信仰や努力や修行を積み重ねたとしても、そうしたカルマの帳尻を合わせて、すべてのカルマの清算をすることは、現実には全く不可能なのではないか、ということなのです。

 理由は、三つあります。

 

①無数の生まれ変わりが連続して、どんどん、ランダムに起こり続けるような輪廻転生の状況では、たとえ、一つのカルマを清算しても、すぐに次のカルマが、どんどん増え続けてゆくことになるので、こうした生まれ変わりの状況下では、どんなに偉大な聖者のような人物であったとしても、完全なカルマの清算は、ほぼ不可能である

 まず第一には、これは、よく考えてみれば、当然のことなのですが、例えば、宗教やスピリチュアルな話では、過去生で、ある人を殺してしまったとして、次の人生で、そのカルマの代償として、今度は、その人に自分が殺されることになった、というような話をよく聞くのですが、確かに、これまでの地球の歴史の中でのたくさんの生まれ変わりの過程では、そうした出来事もたくさんあったのではないか、ということまでは、私も認めるのですが、ところが、ある過去生での無数の出来事のうち、たった一つのカルマが、次の人生で、ある程度、清算されたとしても、また次の人生では、そうした過去生とは全く違う無数の出来事によって、さらに新しいカルマが、どんどん、たくさん追加されていってしまうわけです。

 そうすると、こうした形で、多くの人々や生き物達が、何回、何十回と生まれ変わるたびに、そうした無数の体験によって、何らかのカルマが、どんどん無限に増えてゆくような状況になっている場合には、これは、どんなにものすごい霊的なグルのような人物であったとしても、まるでスーパー・コンピューターのように、無数の人生の出来事におけるカルマの完全な因果律の計算が出来るような、ものすごい超人物でもない限りは、普通、どう考えてみても、そんな状況下では、新しいカルマがどんどん増え続けるということなら、いくらでもあり得るけれども、そうではなく、すべてのカルマを完全に清算し尽くすなんてことは、普通、絶対に出来ないのではないか、ということなのです。

 

②人間関係上のトラブルは、原則、人間関係上の交流や和解や補償によってしか解決できないはずなのに、よく宗教では、そうした、ごくごく普通の人間関係上の努力を軽視して、それとは全く関係のない宗教上の信仰や修行や献金の話にすり替えてしまうことが多いので、かえって、多くの人々が、カルマ的な問題を長く引きずることになってしまった

 第二には、これも考えてみると非常に不思議な話であるのですが、普通、誰かと仲違いをしたのであれば、その人と仲直りするしかカルマの解消はあり得ないし、また普通、誰かを傷つけたのであれば、その人を助けたり、あるいは、何らかの形で、その傷を補償するような行為をしない限り、その人との完全な和解によるカルマの解消なんて、絶対出来ないはずなのです。

 ところが、よく宗教では、そうした人間関係に関するごくごく普通の仲直りや和解のプロセスを完全に無視して、「この宗教の修行をすれば、カルマの解消ができる」、とか、「この宗教を信じて、お布施をすれば、それによって、罪が完全に許される」、というような話をすることが多いのですが、これは単純に考えて、論理というか、人間としてのスジが、完全に間違っているのではないか、ということなのです。

 つまり、基本的に誰かと人間関係上のトラブルがあった際には、その人と、何らかの和解や調停のための行動を始めるのがスジであるし、また、もし誰かを傷つけたのであれば、その人に誠心誠意、お詫びをして、何らかの形でしっかり償うことによって、その人と再度、良好な人間関係を結び直すのが、普通、私達の人間社会では、常識であるはずなのですが、ここに輪廻転生絡(がら)みの宗教が足を突っ込んでくると、途端に話がややこしくなってゆき、その誰かとの和解や調停のための行動やお詫びや償いの話は、完全にどこかに吹き飛んでしまい、それとは、原則、全く関係ない宗教的な信仰や修行や献金の話に置き換えられてしまうことが、非常に多い、ということなのです。

 ところが、現実には、冷静にカルマの法則に則って、考えてみる限りは、そうした逃げ根性の生き方をしているのでは、そうした宗教をやらなかった時よりも、かえって、そうした宗教を熱心にやった時の方が、どんどんマイナスのカルマが累積して、増えていってしまうようなところがあるのではないか、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年8月26日 9:12 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観



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