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コラム 地政学的に見ると、古代出雲を中心に巨大勢力があった、というのは、ほぼ絶対にあり得ない

 よく日本の神話だと、古代に出雲(現在の島根県)の辺りに大勢力があって、そこの国王に当たる人が国譲りして、現在の日本の源になった、というような話があるのですが、私は、地政学的に見て、古代出雲に軍事的な大勢力があったというのは、ほぼ絶対にあり得ないのではないか、というように考えております。

 それというのは、何せ日本は、四方を海に囲まれた小さな島国になっているために、大陸の側から何千何万という軍勢で、パッと奇襲攻撃されてしまうと、よほどの軍事的天才に率いられた、かなり強い軍隊がいない場合には、瞬く間にそうした大陸の勢力に侵略されて、一地方の植民地のような扱いを受けることになってしまうのは、ほぼ確実であったからです(実際、そうした事態に、古代のどこかの段階で絶対になったはずです)。

 ですから、日本の歴代の首都のあった場所を調べてみると非常によく分かるのですが、奈良、京都、鎌倉、江戸と、どれを見ても、原則、太平洋側の海からは、かなり入った内陸の山や川に囲まれた天然の要害になっているような場所か、もしくは、かなり入り組んだ入り江の奥のような場所に首都を構えていて、はっきり言うと、いつ海から外敵が入ってきても海上か、もしくは、ある程度、内陸に誘い込んだ段階で反撃に転じて、撃退できるような、かなり軍事的に安心できるような場所にしか、そうした首都のような大事な場所は置かなかった、ということなのです(鎌倉もそうですが、江戸が海に近いのは、当時の日本は、戦国時代の後で、東洋では、かなりの軍事大国だったからだと思われます)。

 そうした目で見てみると、九州にしても、四国や中国地方(原則、日本海側は全部)にしても、はっきり言って、ちょっと強大な軍事勢力が、大陸から、たくさん押し寄せてきたら、すぐに上陸されて、制圧されてしまうような場所なので、まともな国王が、そんな危ない所に居城を構えて、大勢力を築くなんてことは、絶対にあり得ない、ということです(その反対に大陸とつながりの深い貴族のような勢力だった、というのなら、十分あり得ることになります)。

 でも出雲大社もあるし、古代の製鉄所の跡もあるし、やっぱり古代に出雲の辺りには、一大軍事勢力があったのではないか、と考えられる方もいるかもしれないのですが、私は、少々鉄が採れたぐらいで、広大な肥沃な土地があるわけでもないような、海から数キロぐらいの危ない場所に、まともな為政者が、本拠地を構えるなんて絶対あり得ないし(どこかの支配下の豪族や貴族なら話は別ですが)、それから、古代の神話の中には、後から後から後の為政者の都合によって、作り上げられてきたものが、いくらでもあるなんてことは、現代人は、みんな知っていることなので、そうした出雲の神話や出雲大社の存在自体(他の神社も同様ですが)についても、ある程度、疑ってかかるのが正解なのではないか、というように考えております。

 こうした理由から、私は、古代出雲の神話や国譲りや神無月(かんなづき)や神在月(かみありづき)の話などに関しても、ほぼ間違いなく、後の為政者の都合による当時の政権の正当性を主張するための一種の作り話だったのではないか、というように率直に考えております。

 

Cecye(セスィエ)

2011年8月14日 9:16 PM, コラム / 歴史 / 社会、文化 / 軍事



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