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自分の気分が暗くなり、滅入るような情報に接する時間は極力短くし、できるだけ自分の気分がより明るくなり、ハイになるような情報に接する時間を増やすようにしてゆく Part 7

③多くの人々のより高い幸福感の獲得という観点に立つならば、「教師と生徒」とか、「上司と部下」とか、「販売員と顧客」というような真面目でガチガチの形式的な人間関係よりも、それぞれの人が、自分に与えられた教育上や仕事上の役割さえしっかりこなせるのであれば、より親しくフレンドリーで平等な人間関係の方が、ずっと良いと言える

 第三には、これは会社での人間関係によく見られる内容になるのですが、要するに仕事上の人間関係が、そのまま個人的な人間関係になってしまっていて、常に誰かが目上の役割をこなし、誰かが目下の役割をこなすような言葉づかいや礼儀作法をずっと行い続けるような人間関係になります。

 ただ、私は端から見る限り、こうした言葉づかいや礼儀作法を一生懸命行いながら人間関係を築いて、たとえ、それで仕事はうまく回ったとしても、人間的には全く楽しそうに見えないというような問題点があるので、こうしたケースの場合、仕事中は、そうした社会儀礼のようなものはある程度しっかり尊重するけれども、ただ、いったん仕事を離れてしまえば、たとえ年齢や役職は全然違ったとしても、お互いに一人の人間として、なるべく平等なフラットな人間関係を築いた方が賢明なのではないか、というように感じております。

 それというのは、現実の世間を観察する限り、「教師と生徒の人間関係は、常に真面目でガチガチに硬い」とか、「上司と部下とか、販売員と顧客の人間関係は、常に形式的で重い」というような風景が見られるのですが、ところが、それが何らかの機会に友人や恋人としての関係に変化してしまうと、常にお互いに認め合い、親切にいろいろ教え合うような気軽な楽しい人間関係になっていったり、あるいは常に冗談を言い合ったり、気軽に注意し合ったりして、お互いに親身になって助け合えるような、ものすごく深い友情や愛情関係で結ばれた親しい人間関係になってくるものなので、はっきり言って、これはまだあまり誰も考えたこともないような内容になってくるのではないかと思われるのですが、より高い幸福感の獲得という観点から見ると、あまり「教師と生徒」とか、「上司と部下」とか、「販売員と顧客」みたいな形のガチガチに硬い人間関係よりかは、より親しくフレンドリーな形の平等なフラットな人間関係の方がずっと良いということが言えるからなのです。

 こうした観点から考えてみると巷の常識とはかなり違って、もし社会の秩序とか、会社の業績というものはいったん置いて、多くの人々がより楽しく、より幸せに過ごしていけるような社会とは、いったいどのようなものなのかということを考え直してみると、相手のニーズに基づく教育カリキュラムをしっかり教えるとか、会社の仕事上の目標をしっかり達成するとか、一定の販売実績をしっかり上げるということさえ出来ているのであれば、それ以外の人間関係に関しては、できるだけフラットでフレンドリーなより楽しい、より幸福な人間関係を築いていった方がずっと良いのではないかということなのです。

 このような三つの人間関係のあり方に関しては、もう一度、いったんゼロから見直してみた方が、より多くの人々の「幸福価値」の創出という面から見ると、ずっとずっと賢明なのではないか、というように私は率直に感じております。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年7月27日 9:33 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観



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