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現代のような民主主義全盛の時代には、大部分の宗教は、人間の自由性を著しく制限する点において、だんだん時代遅れの存在になってゆきつつある Part 4

④現実社会の改革や改善のために政治活動や社会運動にエネルギーを注ぐことによって、この世界全体を、より豊かで住みやすい幸福な世界にしてゆく方法があるが、こうした数多くの名もなき市民達の努力と行動の積み重ねによって、現在の自由で豊かな民主主義社会が出来上がってきた

 それから第四には、これは近現代において、かなりメジャーになった方法の一つであるのですが、そうした宗教に入信して、いくら熱心に信心に励んでも、自分の生活も社会の実態も何も変化しないことは、それまでの人類の経験で、もうすでにみんな嫌というほど、よく知っていたので、そうした宗教活動に熱心になるエネルギーを、そのまま政治や社会の改革や改善のための行動に直接向けていった方がよいのではないか、というような宗教思想、というよりも、はっきり言うと、政治活動や社会運動の方に自分の余暇や時間を存分につぎ込むことによって、いろいろな意味での達成感や満足感を得てゆくような方法になります。

 こうした政治活動や社会運動の種類というのは、はっきり言って、ピンからキリまでいろいろあるので、全部が全部いいなんて、とてもではないが、私には言えないようなところがあるのですが、ただ今日、私達、民主主義社会の市民が謳歌している、さまざまな自由や豊かさの大部分というのは、こうした多くの名もなき市民達の努力と行動の積み重ねの結果であったということは、私達、民主主義社会の市民としては、よくよく心から理解しておく必要があるということが言えるでしょう。

 

⑤近現代に入ると、たとえ少々、宗教的な良心に反する行為であったとしても、自分自身や他の人々を害しない範囲内であれば、より幸福で楽しい自由の獲得をどんどん目指してゆこう、というような「理性主義」や「快楽主義」の台頭によって、現在の世界は、より豊かで幸福になってきた一面がある

 第五には、これは、ちょっと変わった概念になるのですが、自分自身も含めて、その社会の人々を傷つけたり、害したりしない範囲内の行動であると理性的に判断できるのであれば、「もう宗教的良心とか、罪悪感なんて、できるだけ気にせずに自分が楽しいと思ったことは、そのままやってしまおう」とか、「自分が心地よいと思えることは、そのままやってしまえばよいのではないか」というような、これまでの宗教思想とは全く正反対の「反宗教思想」、もしくは、「理性主義」、場合によっては、「快楽主義」、というよりも、時には「悪魔主義」などと言われるような価値観に基づく行動のあり方があるのですが、実は、多くの人々の単純な思い込みとはかなり違って、現代社会というのは、そうした「快楽主義」、というよりも、昔の人々なら間違いなく「悪魔主義」と断言するような方法によって、どんどん進歩してきたような一面があったのです。

 つまり、これは今まで述べてきたような多くの人々の快楽欲求を、いかにして社会的にあまり問題がない形で制限してゆくか、というような方法ではなく、もうストレートに自分も含めて、他の人々を傷つけたり、害したりしないのであれば、自分の味わいたい快楽には、できるだけ正直にそのまま従ってゆこう、というような一種の快楽主義のような生き方になってくるのですが、実は近代以降、世界中の多くの国々が、こうした形で民主制度の改善や、個人や企業の自由競争を促進して、次から次へと多くの人々の欲求の充足や問題の解決にひたすら邁進してきた結果、成立してきたのが、現在、私達が体験している、このとてつもなく便利で豊かな先進国の生活のあり方であったのです。

 ですから私達が、何となく、すぐに感じがちな宗教的良心や罪悪感の感覚とはかなり違って、実は多くの人々が、自分自身や多くの人々の不利益や不幸にならないように、いろいろな試行錯誤を繰り返しながら、さまざまな枠や制限を外して、自由に快楽の追求や問題の解決に奔走してきた結果、出来上がってきたのが、現在、私達が体験している、この民主主義社会における先進国での非常に便利で豊かな生活であったということなのです。

 

ここ数千年の間、人類の社会では、多くの人々の快楽欲求を、いかにして制限してゆくか、ということが、ずっと模索され続けてきたが、近現代に入ると打って変わって、多くの人々の快楽欲求を、いかにして、より合理的な形で満足させ、充足させてゆくか、というような方向性に、人類の文明は大きく方向転換してゆくことになった

 このように、これまでの地球の社会では、多くの人々の快楽欲求を抑えたり、開放したりする際には、大体、以上のような五つの方法が、ここ数百年、数千年の間に何度も何度も代わる代わる、たくさん現れては消えてきたということが言えるのですが、ただ、大きく分類すると、ここ数千年の間は、どちらかと言えば、基本的に多くの人々の欲求を、何らかの方法で制限する方法が中心だったのに対して、近現代に入ると、それが大きく変わって、基本的に多くの人々の欲求を、できるだけ何でも十分に満足させてゆくような「自由の開放」、というか、もっとはっきり言うと、「人間の欲望の開放」の時代に大きく移り変わるようになってきたということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年7月15日 9:28 PM, 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 政治 / 社会、文化



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