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洗脳やマインドコントロールの手段の変化―古代や中世における「宗教」と「政治」から、近代以降は、それに加えて、「教育」の時代へ

 今回も、前回に引き続き、前に書いた文章からの抜粋になります(途中からで、分かりづらい方は、もう少し前の所から、お読みになることを勧めます)。

 

洗脳やマインドコントロールの手段の変化―古代や中世における「宗教」と「政治」から、近代以降は、それに加えて、「教育」の時代へ

 このように、暗闇の勢力というのは、もともと高次元の光の宇宙領域で活動していたような正世界の生命存在達を、非常に強い恐怖心や絶望感や怒りや憎悪といった低次元の暗闇の精神波動の世界の中に押し込め、封印することによって、非常に大きな知性や能力やパワーを得ることができていた、ということなのですが、それでは、実際問題として、彼らは、一体、どのような手段でもって、現在も、私達人間や、さまざまな生物達に対して、そうした恐怖心や絶望感や怒りや憎悪といった暗闇の感情を与え続けているのか、というと、これを言うと、非常に、がっかりする方も多いのではないか、と思うのですが、実は、私が調べた限り、その最も大きな発生源となっているが、人類の時代区分で言うと、古代から中世にかけては、まさしく、「宗教」と「政治」、それから、それ以降の近代から現代にかけては、それに加えて、特に国家の義務教育に代表されるような「教育」が、それに当たるのではないか、というのが、私の結論であるのです。

 ここでは、ページの関係から、その詳細に関しては、あまり深く述べられないのですが、要は、古代から中世にかけては、前に述べたような、宗教や政治による洗脳やマインドコントロールの仕組みが、地上の世界と、それほど波動的に高くないような地上の世界とほど近い霊的世界(つまり、四次元以下の疑似天国や幽界や地獄の世界のこと)の間で、ほぼ完璧な形で、非常に巧妙に張り巡らされていたので、それゆえ、そうした時代において、生まれ変わりを体験した、ほぼすべての人々や生き物達というのは、自分達自身の努力では、本当に、どうにもできないような非常に根深い恐怖心や怒りや憎悪といった暗闇の感情の蓄積によるマイナスのカルマの連鎖によって、本当に何度も何度も同じような人生を、まるで、ぐるぐると回転する車輪のように、繰り返し繰り返し、体験し続けなくてはならなくなるような、本当に無限と言っても過言ではないような輪廻転生のループの中に、ほとんど完全に埋没させられてしまうような大変な事態になっていた、ということです。

 それが、現在より数百年前から始まる、その後の市民革命や学問や科学技術の発達の時代を経て、近代以降の時代になると、確かに、それ以前の時代と比べれば、一人一人の人間への、宗教や政治の直接の支配力や影響力というのは、遙かに減ることになったのですが、やがて、国家の義務教育というものが始まると、一方では、そうした国家の義務教育によって、数多くの人々が、それ以前の時代とは、本当に比べものにならないくらいの自由や豊かさや幸福というものを、たくさん手に入れられるような非常に良い効果をもたらしたことは、確かに事実なのですが、その一方においては、そうした義務教育というものが、ある一定の価値観や世界観以外の考えや行動というものを著しく規制し、制限してしまうような、つまり、多くの人々に対して、さまざまな精神的束縛や貧しさや不幸をもたらすような悪い方の効果も、同時に、もたらすことになっていった、ということなのです。

 こうした教育による洗脳やマインドコントロールの手法というのは、古代や中世の時代のように、宗教家や国王や皇帝によって、外面的な行動においても、内面的な精神のレベルにおいても、誰もが絶対に従わなくてはならないような形の絶対的な規則や決定や命令が、次々と与えられる、とか、あるいは、もし、そうした宗教や国家の規則や決定や命令に、少しでも逆らった場合には、その人間の社会的な身分の剥奪(はくだつ)や財産の没収のみならず、たくさんの人々の前で見せしめのための拷問や処刑が、何の躊躇もなく、いくらでも行われる、というような直接的な手法ではなく、そうではなく、これが、現代のような時代であると、普通の人では、ちょっとやそっと考えたぐらいでは、そう簡単には、批判できずに、仕方なく、何でもかんでも、すべて受け入れなくてはならなくなってしまうような、かなり巧妙な手法、たとえば、学校の勉強ができない人間は、頭が悪い馬鹿者なので、そういう人間は、頭のいい人間、つまり、学校の教師を初めとするような政治家や役人や学者や専門家の言うことを、何でもかんでも、そのまま素直に受け入れることしかできなくなるように、自然自然のうちに仕向けてゆく、とか、学校で教えられる教科書の内容や学校の教育方法は、絶対に正しい変更不可能なものなので、それに反する、いかなる提案も方法も、学校としては、絶対に受け入れないし、また、社会的な大義名分は、ともかくとして、個人の自由性や創造性というのは、実質的に、できるだけ制限することが、まるで社会的に正しいことであるかのような錯覚や信念をもたせるように仕向けたり、さらには、国家の代表であるような教師の言うことを聞かなかったり、学校の決まりを守らないのであれば、実質的に一切進学もさせなければ、一切良い就職への道も完全に閉ざして、一生、うだつの上がらない低所得の労働者か、もしくは、浮浪者同然の生活しかできないようにしてしまう、というような、いっけん、非常に間接的でソフトな手法が取られるようになってきている、ということが言えます。

 ところが、今述べたことからもよく分かるように、現在の教育システムにおいては、その社会における自分より上位の人々に対する盲目的信頼と絶対的服従の習慣を身に付けさせる、とか、現在のその社会の秩序や常識を、できるだけ何の疑いもない状態で、そのまま素直に受け入れさせる、とか、現在の社会の秩序や常識を、そのまま受け入れられないような人間は、その社会における出世や成功のレールからは、完全に除外させるようにする、などというような点において、たとえ、現在のような民主主義社会における最善と思われるような教育の制度であったとしても、はっきり言って、一昔前の専制国家と、さほど変わりないような一種の恐怖政治のような大衆支配のための秘密のカラクリというのは、まだまだ、しっかり生き残って機能しているのではないか、というように、私は率直に感じております。

 このように、古代や中世の時代とは違って、現代においては、教育というのが、もう一つの新しい大衆支配のための秘密の洗脳やマインドコントロールの手法として活用されるようになってきている、ということが言えるのですが、いずれにしても、「宗教」と「政治」、それから、「教育」というような、さまざまな手段を通じて、現代においても、私達は、いろいろな形でもって、表面的、あるいは、潜在的な、さまざまな恐怖心や絶望感や、あるいは、怒りや憎悪といったマイナスの暗闇の感情を持たされ続けている、ということが言えるでしょう。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年7月10日 9:05 PM, アセンション・シリーズ 4



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